盛岡タイムス Web News 2011年 1月 23日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉42 望月善次 壁なる影

 春の夜風の中に壁に映る影、それは、詩歌のために身も細る思いでいる私には、色々のものに見えるのです〜例えば、歴史の流転の跡、自分自身でも自覚することのない文言の一節、世の人に知られぬ私自身の姿などの。〜しかし、いずれにしても、この夜が明ければ、これらの影は、真実の光の中に生きることは確かなのです。
 
  ■壁なる影〔四四七調〕
 
夜風(よかぜ)にうるほひ、行春(ゆくはる)淡き
有明(ありあけ)燭(ともし)の火影(ほかげ)ぞ揺れて、
ああ今、ほのかに、幻ふかく
起伏(おきふし)さだめぬ影こそ壁に。
 
詩歌(しいか)の愁ひに我が身は痩(や)せて、
くだつ夜、低唱(ていせう)、無興(ぶきやう)の窓に。
こは何、落ちくる壁なる影よ、│
静かに、静かに、捲きてはひらく。
 
たとへば、大海(おほうみ)青波鳴りて
涯(はて)なき涯にとただよふそれか。
或は、無終(むしう)の歴史の上に
湧き、また沈める流転(るてん)の跡か。
 
めぐれる影にと思は耽(ふけ)る。│
ああ今、我聞く、音なき波に
遠灘(とほなだ)どよもす響ぞこもれ、│
思の青渦(あをうづ)、とく、またゆるく。
 
とく、またゆるかに影こそ揺(ゆ)れば、
うかべる光に心は漂ふ。│
この影、幻、ああ聞きがたき
天海(あまうみ)『秘密』のそのおとづれか。
 
思は高めば、影また深く、
見えざる文(ふみ)こそ壁には照れる。│
幾夜の我が友、そよわがいのち、
秘密に泳(およ)げる我が影なりき。
 
燈火(ともしび)うするる。薄(うす)れよ。暗も
心の壁なる我が影消(け)さじ。
ああ我汝(な)に謝(しや)す、我が夜は明けば、
この影、まことの光に生きむ。
               (甲辰六月二十日)
 
  ■〔現代語訳〕壁なる影(壁の影)
 
夜の風も潤って、暮れて行く春も淡く感じられる
まだ月のある夜明け方、灯火の火影が揺れて
ああ、この今、仄かに、幻の感じも深い
高低も定かでない影が壁にあるのです。
 
詩歌を思う余りの愁いに、私の身は痩せて
更けて行く夜、低い声で歌い、興ものらない窓によるのです。
ああ、これは何でしょう、落ちて来る壁の影は│
その影は、静かに静かに、巻いては開くのです。
 
(ああ、この影は、喩えれば)大海の青い波が音を立てて
果てしもない涯に漂うようなものでしょうか。
或いは、終わることのない歴史の上に
湧いたり沈んだりする「流転」の跡でしょうか。
 
周囲を取り囲む影に対して思いに耽るのです│
ああ、私は聞くのです、(想像の中に浮かぶ大海の)音もない波と
遠くの灘とが音を響かせ合う響きも籠もっていることをも。
(それを思うにつけても)想像の青い渦は、(壁の影ともなって)早くまた緩く(渦巻くのです。)
 
(壁の)影は早くまた緩く揺れるので、
浮かんでいる光に心も漂うのです。│
ああ、聞くことは難しいのです。この影が幻か
天の海の『秘密』の訪れかを。
 
思いが高まったので、(壁の)影は深くなり、
見ることの出来ない文章さえもが、壁に照らしだされるのです。│
(この影は)幾夜かに渡る私の友であり、私の命でもある
私の「秘密」のうちに泳いでいる私の影なのです。
 
灯火は薄くなります。ああ薄くなるように。暗さも
(この)心の壁の私の影を消すことはできないのです。
ああ、私はお前(影)に感謝するのです、私の夜が明けたなら、
この影は、真実の光の中に生きるでしょう。
                             〔明治三十七年六月二十日〕

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