盛岡タイムス Web News 2011年 1月 28日 (金)

       

■ 〈学友たちの手紙〜野村胡堂の青春育んだ書簡群〉10 八重嶋勲 ざんざめく物見の窓や青すだれ

 ■原抱琴
  21巻紙 明治32年5月1日付
宛 盛岡市四ッ家町猪川様方 野村長一様
発 在東部 抱琴生
句しるすべきところ半紙欠乏いたし候へば、このところへ物しまゐらせ候、何卒乍御手数御清害被下度候、

   ○    抱琴迂生

夏季十二吟
ざんざめく物見の窓や青すだれ
水運ぶ支那の女や芥子が散る
洋館の横手つづきや芥子畠
大幟茂りの中の長か家
孟宗に札立てゝある夜店かな
瀬戸物の捨てある寺の清水かな
おとなへば女いらふる清水かな
病養ふ寺の筍のびにけり
返しもあらで葵の祭過ぎにけり
人なだれ祭の中の喧嘩かな
物のろふ女聞こゆる茂りかな
爭ひは上町負けし祭かな
故山の春たけぬらしなつかしき
花片すゞろうれしく再び帰省しては旧知の友と心ゆくまで物語りたらん様の心地いたし侍りぬ
さてとや六〇五第二巻御あつめとやらにて□様その約によりわれにも出せとの御催促状たしかに承り申候、
然るに近頃句作の為めに多忙を極め新体詩の想のみハ浮みニも作る暇なきありさま、誠に困り入申候、一日二日頃迄にとの仰(せ)にハあれど、とても出来かね申候、さりとてわれ一人の為めに発行日を延引せんハ口惜しき事ニ存候へバ、今回は駄句二、三にて御免被下度候、尚御名吟御送にあつかり難有存候、右俗評加へ申候、御免被下度候、
○『法丈も』この句奇抜と申すべし、但し「も手づから」の五字はあたら句を俗となし候、
○『夕ばえ』「裾から」の字拙し、又「野火の山」とは方言にハ云へども通常はいかゞ
○『陽炎に』一句の意不明、鬼に角に紫人の句に「芹置けば陽炎立つや石の上」と云ふか有之候
○『水風呂』何の事にや、或は水風呂を上がりて、ぶどう棚の下に立てば、風に身躰かは
く故、葡萄棚より「湯取り」の代用をなすとの意か、さらば俗の俗たるものと存候、
○『初午』面白けれど「日のくるゝ」なとゝはあまり膨大し過ぎはせずや、「初午の鳥居夥しき社かな」としてハ如何、
○『菜の花や』下七五不明故に評なし、
○『山吹』陳腐なり、
○『菜の花に』面白けれども『菜の花に日はくれかゝる小村かな』としてハ如何、
○『宵の中に』日永と云ふ事ハ畫の長き事を申すなり、まれで一句ちと可笑しからずや、
○『客人の』面白し、『客人(マロウド)の物忘れ行く日永かな』としてハ如何、只「帽を忘れし」にては自分の中へ帽を忘れて来たのか、置きわすれて帰ったのか不解、置ればなり、
  尚申上度きことある様なれども用事ありて心急ぐまゝこれにて御免被下度候、
         早々
  五月一日        抱琴
   暁のかね子さま
     御許に
 
  【解説】回覧雑誌『六〇五』第2巻の原稿という。田子一民、及川古志郎、中原隆三、金田一京助らの『反古袋』と並んで盛岡中学に文学旋風を起こしたといわれる、野村長一(菫舟)、岩動孝久(露子)、猪川浩(箕人)らによる回覧雑誌『六〇五』がある。

  菫舟の原稿は200枚もある泉鏡花ばりの優麗な小説。その詩は島崎藤村調の猪川浩(箕人)と並んで「才気煥発だった」と金田一京助が評している。『六〇五』の名称は、雪月花からきている。すなわち、六は雪の結晶の六角形、〇は満月、五は梅の五弁ということである。後で出てくるが、岩動露子の長一宛書簡にその命名についての記述が見える。

  その『六〇五』第2巻に原抱琴が、題「夏期十二吟」として、俳句を12句寄せている。さすが、すばらしい俳句である。また長一の俳句の批評も的確である。

  原抱琴は、岩手県尋常中学校3年の時、東京府立日比谷中学校に転校。この年は4年生。

  五年生で、正岡子規門に入った。

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