盛岡タイムス Web News 2011年 1月 30日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉45 望月善次 鴎

 磯の香りに満ちた真昼の砂に、私の足近く鴎が休んでいます。両手を出し、大声で歌っても鳥は驚かず、波を喜んでいます。その様子は素晴らしく、私の心を揺るがすのです。ああ、友とも言うべき鴎よ。疲れることのない光の白羽を、ちょっとでもいいから、翼のない人間である私の胸にも許してくれないでしょうか。
 
  ■鴎〔745調〕
 
藻の香に染みし白昼(まひる)の砂枕(すなまくら)、
ましろき鴎(かもめ)、ゆたかに、波の穂を
光の羽(はね)にわけつつ、砕け去る
汀(みぎは)の〓(あわ)にえものをあさりては、
わが足近く翼を休らへぬ。
 
諸手(もろて)をのべて、高らに吟(ぎん)ずれど、
鳥驚かず、とび去らず、
ぬれたる砂にあゆみて、退(しぞ)き、また
寄せくる波をむかへて、よろこびぬ。
 
つぶらにあきて、青海の
匂ひかがやく小瞳は、
真珠の光あつめし聖の壷(つぼ)。
はてなき海を家とし、歌として、
おのが翼を力(ちから)と遊べばか、
汝(な)が行くところ、瞳(ひとみ)の射る所、
狐疑(うたがひ)、怖れ、さげしみ、あなどりの
さもしき陰影(かげ)は隠れて、空蒼(あを)し。
 
ああ逍遥(さまよひ)よ、をきての網(あみ)の中
立ちつつまれてあたりをかへり見る
むなしき鎖解(と)きたる逍遥(さまよひ)よ、
それただ我ら自然の寵児(まなご)らが
高行く天(あめ)の世に似る路なれや。
来ても聞けかし、今この鳥の歌。│
さまよひなれば、自由(まゝ)なる恋の夢、
あけぼの開く白藻(しらも)の香に宿り、
起伏つきぬ五百重(いほへ)の浪の音に
光と暗はい湧きて、とこしへの
勇みの歌は、ひるまぬ生(せい)の楽(がく)。
 
ああ我が友よ、願ふは、暫しだに、
つかるる日なき光の白羽をぞ
翼なき子の胸にもゆるさずや。
汝(な)があるところ、平和(やはらぎ)、よろこびの
軟風(なよかぜ)かよひ、黄金(こがね)の日は照(て)れど、
人の世の国けがれの風長く、
自由の花は百年(もゝとせ)地に委して
不朽(ふきう)と詩との自然はほろびたり。
                (甲辰八月十四日夜)
 
  ■〔現代語訳〕鴎
 
藻の香りも染みた真昼の砂の枕(に寝転んでいる私)、
真っ白な鴎は、豊かに波の穂を
(浴びている)光の羽に分けながら、砕けては去っていく
渚の泡に獲物を漁りながら、
私の足の近くに翼を休めています。
 
両手を差し出して、大きな声で(詩歌を)吟じても
鳥は、驚きも飛び去りもせず、
濡れた砂を歩き、退き、また
寄せて来る波を迎えて、喜んでいるのです。
 
つぶらに開いて、青い海に
匂い輝く小さな瞳は
まるで真珠の光を集めた聖なる壷のようです。
果てしない海を家とし、歌とし、
自分の翼を力として飛んでいるからでしょうか、
お前が行くところ、お前の瞳が射るところは、
疑い、怖れ、蔑み、侮りのような
さもしい影は隠れてしまって、空は青いのです。
 
ああ、(鴎の、自由な)逍遙よ。それは、掟の網に
包まれて、周囲のみを気にする
空しい(掟の)鎖から解き放たれた逍遙であって、
それは、他でもなく、私達「自然の寵児達」が
高く行く天上の世界にも似た道に喩えられるものでしょうか。
さあ、今こそ来て聞くのが良いのです、この鳥の歌を│
(自由な)逍遙であるから、(それは)自由な恋の夢にも通じ、
曙に開く白い藻の香りにも宿り、
起伏も尽きない幾重もの波の音に
光と闇も湧いて、永遠の
勇気を与える歌は、ひるむことのない「生命」参加の音楽なのです。
 
ああ、我が友、鴎よ、お前に願うことは、ほんの少しでもいいから
(お前の)疲れることのない光の羽を
翼のない私の胸にも許してくれないものでしょうか。
お前のいるところには、平和、喜びの
柔らかな風が通い、黄金の陽は照っているけれども、
(それに対して)人間の世の穢れの風は長く、
自由の花も百年の長きに渡って萎縮して
不朽と詩(を本質とする)自然は滅んだのです。
                           〔甲辰(明治三十七年)八月十四日夜〕

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします