盛岡タイムス Web News 2011年 2月 5日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉197 岡澤敏男

 ■冥府の守護神は憑物の犬神ではない

  たしかに「ふたりのタネリ」と「犬神」の出現は、童話「タネリと」と「サガレンと夏」の血縁の濃さを察しさせてくれます。しかし双方を子細に読みくらべると、「犬神」の出処(現れ方)とか「犬神」の行為に著しい相違があり、いはば「犬神」のアイデンティティー自体に相違が見られるのです。

  サガレンのタネリは「クラゲを拾ったり透かして物を見たりしてはいけない」と注意した母の言葉を無視してクラゲで空を透かして見るのです。すると水平線の彼方から大きな四匹の白犬に跨がって犬神がやって来ます。クラゲは別世界から犬神を誘致する装置となっています。タネリは犬神に捕らえられ蟹(かに)に変身されてチョウザメの下男となるのです。

  もう一方の岩手山麓のタネリは「森に入って行くんでないぞ」という母の注意を守り森を遠くから眺め中に入らなかった。すると森の精霊である犬神が森の入り口に現れタネリを誘う。恐怖したタネリは一目散に母の許へ逃げ返って行くのです。

  タネリを森へと誘致した装置は鴇(とき)という鳥でした。またサガレン(ギリヤーク)の犬神はタネリの両足をつかまえ「小僧、来い」と蟹に変身させて海底にほうり投げられます。

  これに対して岩手山麓(ホロタイ)タネリには犬神が襲うことなく森の前に「じっと立って」いるだけでした。容貌はサガレンの犬神が「黄いろの髪をばさばささせ大きな口をあけたり立てたりし歯をがちがち鳴らす」魁偉な化け物風に描写されているが、岩手山麓の方は「片っ方の手をふところに入れて、山梨のやうな赤い眼をきょろきょろ」させるだけのとぼけた山賊風に描かれているのです。

  賢治の犬神観については192回(「犬神」とは何か)で、冥府(死者の行くところ)すなわち他界(別世界)の守護神または支配者として性格づけ、古代エジプトの「アヌビス」がモデルと推察したが、たしかにわが国の四国に伝承される憑物(つきもの)の犬神ではないとみられます。

  犬神について貝原益軒は『扶桑記承』で大要つぎのように述べています。「四国においては犬を殺し、その霊を身に添いてある人がいる。これを犬神人という。犬神を持った人は、憎しと思う人に、その犬神をつけて心を悩ませ身を苦しめ病をなし、ついには死にいたらしめる」という。

  そのような犬神の邪術の作り方について本居宣長は「俗説ながら里老の話に、猛くすぐれたる犬を多く噛み合わせて、ことごとく他を噛み殺して、残れる一匹の犬を、生きながらえしめたる上に、魚食を与え食わしめて、やがてその頭を切りて筐に封じ、残れる魚食を食らえば、その術成就す」と『賤者考』で述べています。

  このように四国の犬神は呪いの邪術をもった憑物で、とても冥府の守護神のモデルとはほど遠い。賢治はサガレンの犬神を海底(冥府)の支配者の立場で描き、岩手山麓のそれは森(他界)の精霊(守護神)として描き分けている。いづれも冥府の守護神として登場させたもので、個人的呪いの邪術を行使する犬神とは別格の存在なのです。

  サガレンでは、犬神の出現があまりにも早過ぎ、タネリの人物像があいまいで、冥府のタネリのドラマ化を阻害したものと思われる。岩手山麓でのタネリは、サガレンの欠陥を補い、犬神に遭遇する前に早春の野をかけめぐるタネリ像を鮮やかに描いているのです。

 ■「サガレンと八月」(抜粋)

  水平線の上のむくむくした雲の向ふから鉛いろの空のこっちから口のむくれた三匹の大きな白犬に横っちょにまたがって黄いろの髪をばさばささせ大きな口をあけたり立てたりし歯をがちがち鳴らす恐ろしいばけものがだんだんせり出して昇って来ました。もうタネリは小さくなって恐れ入ってゐました。そらはすっかり明るくなり、そのギリヤークの犬神は水平線まですっかりせり出し間もなく海に犬の足がちらちら映りながらこっちの方へやって来たのです。

  「おっかさん、おっかさん」タネリは陸の方へ逃げながら一生けん命叫びました。すると犬神はまるでこわい顔をして口をぱくぱくうごかしました。もうまるでタネリは食はれてしまったやうに思ったのでした。

  「小僧、来い。いまおれのとこのてふざめの家に下男がなくて困ってゐるところだ。ごち走してやるから来い。」言ったかと思ふとタネリはもうしっかり犬神に両足をつかまれてちょぼんと立ち、陸地はずんずんうしろの方へ行ってしまって自分は青いくらい波の上を走って行くのでした。(以下略)


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