盛岡タイムス Web News 2011年 2月 7日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉6 照井顕 浅川マキの裏窓

 1975年に開店した陸前高田のジョニーで毎日、何度も流れていた浅川マキの歌。その暗闇の底から聴こえてくるような、ブルースともジャズともロックともつかない、まったく彼女独特の世界、そう、70年のデビューアルバムのタイトルそのものであった「浅川マキの世界」のスタイルを40年間変えることなく歌い続け、2010年1月17日に、公演先のホテルで亡くなった彼女はその時、67歳だった。

  僕は、その死を新聞の記事で知り、開運橋のジョニーに時折やって来る鶴飼fさんに電話を入れると、何で電話が来たのかということを彼はすでに知っていた。後日、僕達は深夜に、涙をこらえながら、彼女の古いレコードを聴き口ずさんだ。

  盛岡にジョニーを開いてから10年、僕の知る盛岡の浅川マキファンは彼以外誰も知らない。だから、浅川マキのレコードをかけるのは、彼が来た時だけなのだ。それも決まって他に客の居ない深夜に、「ジョニー・ドラム」というバーボンウイスキーを片手に、彼女の歌に聴き入るのだ。

  僕が生の彼女に出会ったのは、たしか78年東京西荻窪のジャズライブハウス「アケタの店」でだった。店のライブが終ってから全身黒服に身を包んだ彼女が店にやってきてベースとのリハーサルを始めてビックリ。

  それから、彼女と何度も何度もコンタクトを取り、岩手に陸前高田に来てくれる様に頼み続けて、4年後の81年7月1日、30人入ればギッチリの店に60人も座らせて、まさか、まさか、のジョニーライブが実現したのだった。

  メンバーは、浅川マキが亡くなる直前までピアノを弾き続けた渋谷毅。そしてトランペッターの近藤等則。ベースの山崎弘一。彼女は椅子の並べ方にまでこだわり、僕を感動させた。

  20枚の色紙やレコードにサインをお願いした時、彼女は、タタミの上に正座して、机に向かい、そのすべてに歌詞の一節を書き添えてから、浅川マキとサインを入れた。僕はそれまでも、これまでも、たくさんの人にサインを頂いてはいるが、彼女ほどとても丁寧な、美しい字でサインをしてくれた人は、今だかつていない。
(開運橋のジョニー店主)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします