盛岡タイムス Web News 2011年 2月 11日 (金)

       

■ 〈学友たちの手紙〜胡堂の青春育んだ書簡群〉12 八重嶋勲 雪は小説とし、月は詩文、花は詞藻

 ■岩動孝久

  23巻紙 明治32?年?月?日付
宛 野村長一君
発 路用(岩動孝久(露葉、露子))
手紙にする價値はない、實は時間に制限があるから思ふ様に怒鳴られないからこんどはこれで失敬する□
 
六〇五の件につきて表紙などは兎も角、意とする所にあらず、其内容に於ては充分文学の為め、趣味蓄養の為め大に力を奮はさるべからずと存候へば、本日よりも着手なされ度、拙者も近々手始め致すべく候、
欄を分つ事三、四日、雪月花、昨日も申上げし如く雪は小説とし、月は時文、花は詞藻として異議なかるべしや、小説は盛んにせざるべからざるも、時文また等閑に時替能はざるものと存候、それかし事も禿筆を呵して大に怒鳴るべく、兄に於ても大に枕戯君にも左様傳言願上候、いづれ当中学校にては六〇五を容るヽの達士なければ止むなく吾人も大に彼等の済度に力を致さざるべからずと存ぜらるヽなり、大に容れられさるものは大に大ならざるべからず、咄々彼等俗物輩は遂に吾人を駆りて千秋の下に恨事を想はす答へたるもの大に勉めざるべく申(さ)むや、寄宿舎方面はそれがしは擔当仕り候へども、」可くしても俗物輩の勢力には恐れ入るなり、いづれ二十五日迄には此勉強、校種募集等仕度までは小説及時文をものせん覚悟に御座候、呉々怒鳴り方黙め申や、呵事して俗物輩を済度し合せて中学校趣味養成に力を致さん哉、
      ろ葉(岩動孝久、露子)頓首
  ろえい(野村長一、菫舟)様
 
  【解説】この手紙は、本人が直接届けたものか、幸便によるものか、日付が全くない手紙であるが、前の手紙の前後に書かれたものと思われるのでここに載せることにした。
  内容的に極めて大事な手紙である。回覧雑誌「六〇五」は田子一民、及川古志郎、中原隆三、金田一京助らの回覧雑誌「反故袋」と並んで、盛岡中学に文学旋風を起こしたといわれる、野村長一(菫舟後の胡堂)、岩動孝久(露子)らによる、回覧雑誌。菫舟の原稿は200枚もある泉鏡花ばりの優麗な小説。
  その詩は島崎藤村調の猪川浩(箕人)と並んで「才気煥発だった」と金田一京助が評している。
  「六〇五」の名称は、雪月花からきている。すなわち、六は雪の結晶の六角形、〇は満月、五は梅の五弁ということである。まさにこのことを記述し、命名は岩動孝久(露子)だったことが明確に分かる。
  そして盛岡中学にはびこる俗物輩を済度し、文学や高尚な趣味を盛んにしようという意気込みを述べている。長一、盛岡中学三年生、十八歳。岩動孝久(露子)四年生。
 
  ■夜叉暴虎

  24はがき 明治32年5月12日付
宛 盛岡市四ツ家町角 猪川先生方 野村長一様
発 夜叉暴虎拝 十二日
けふは春の日和のうららかなるにつれいづれ心の浮き立つまま野遊もかなと思へりしに父のいふ様ハけふは幸不動尊の祭典なれば共に行くべしと遂に行くとて相極め八時といふに立ち出て申候、餘程御薨も重さなりたれば明日よりは執筆致すべし、眼下を蛆虫等を見下しつつ丸飯をかぢりたるも身は羽化蚕代など思い出づれば面白しもがな、けふは面白き履歴の日なれば出盛の際御話致す価値あるべく候、切角御苦労謝し上で私事も餘程気も散じたり、真人間になる近きにあるべし、
 
  【解説】東京からの鉄道郵便の消印があるが、「夜叉暴虎」とは誰なのか特定できない。何となく原抱琴の筆跡に似ている。
  (紫波町彦部公民館館長)

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