盛岡タイムス Web News 2011年 2月 18日 (金)

       

■ 〈野村胡堂の青春はぐくんだ書簡群〜学友たちの手紙〉13 八重嶋勲 eggwineに元気こしらひ

 ■岩動露子

  25巻紙 明治32年5月14日付

宛 盛岡市四ツ家町角猪川塾内 野村長一
発 紫波郡に於ける 浦島菴 玉手箱主人ろえふ子(岩動孝久)投
緑(禄)な物も出ねども禿筆を呵してやりたものは鬼(思?)いちこの一篇です、鏡花をつらつら考へて見たあげくはその論となりましたからよろしく精読を願い升、
目下紀行に執筆中なれども紙数の増賀(加)を恐れて出しません、出盛の際持って参りませふ、eggwineに元氣をこしらひつヽやりつける、家は氣楽なものに候、この様では一日に百枚も出来ませふ、それから少し考ふる所ありてこんとの六〇五へは小説書きません、左様了承願上候です、行遊甚だ意に適したり、以降大にやる募に候だよ、面白話があるがそれは紀行に譲るだ、 失敬

      ろ葉(岩動孝久、露子)先生拝
   六〇五編輯局御中
 
新小説は魯菴の意氣に服して小説を見る氣になり持って来ました、また錦帯記は批評しやふと思ふて持って来ましたが、それには及ばれなかったよ、

  【解説】回覧雑誌「六〇五」への執筆について、ようやく書いたものが「鬼(思?)いちこの一篇です」とはどうも泉鏡花の作品の評論らしいが、どういうものであろうか。「魯菴」は「内田魯庵」のことであろう。「eggwine」とは「卵酒」を英語風にいったのも面白い。野村長一が「六〇五編輯局」を担当していることが分かる。

  なお、この手紙は、候文から、現代文の「です、ます」調の文体への脱皮がうかがわれる。
 
  ■岩動露子

  26巻紙 明治32?年?月?日付

宛 ゐ川先生方 のむらろえい様 御承用(盛岡市四ツ家町角猪川塾内 野村長一)
発 赤石村 露葉先生(岩動孝久(露子))
ろえい(野村長一、菫舟)君
君が報に接し六〇五の嬉しともまた悲しと感じ待(侍)りみえつる、餘技の大冊表紙画の清楚いかに嬉しきかも趣味を解さざる徒の徒らに通をふり廻す目録のさびしき、いかに悲しきかもかくては拙作の用(様)な記までもありたらばと浮世のさがも恨まれつ、
さて余が何とて苦情訴ふべきにはあらねども愛子が門出といふに見てやりたく候へば二日計り六〇五御貸し下され度く候、来週(□)二十四日頃までには是非共御返し申すべく候へば他人へは廻覧中と御吹聴願ひ上げ度候、土用休暇頃前、今一回発兌(はつだ)缺(決)度此議如何に候や、餘はあとで、

       岩動子(岩動孝久、露子)
           野村兄(長一、菫舟)

  【解説】この手紙も、本人が直接届けたものらしく日付が全くない。「六〇五」が初めて発行されたことが想像できる。岩動露子からすれば、どうも内容がよくなく思ったより出来栄えしないようにも感じられる。しかし、「余が何とて苦情訴ふべきにはあらねども愛子が門出といふに見てやりたく候へば二日計り六〇五御貸し下され度く候」で「六〇五」の初発行をわが愛児の門出のようだと愛しんでいるのである。また、「餘技の大冊表紙画の清楚いかに嬉しき」で、長一が表紙絵を描いていることが分かる。
  (紫波町彦部公民館長)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします