盛岡タイムス Web News 2011年 2月 19日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉198 岡澤敏男 「千と千尋の神隠し」の異界観

 ■『千と千尋の神隠し』の異界観

  賢治が山野を跋渉(ばっしょう)して限りないほど林や森に遭遇したに違いない。そうした林や森の風情が数多くの作品に登場しているのです。

  『注文の多い料理店』の序に「はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものにかはつてゐるのをたびたびみました。」といい、「わたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです」と述べているほどで、この7篇の童話集のなかにも多様な森の表情がうかがえるのです。

  「どんぐりと山猫」では榧(かや)の木の森、「狼森と笊森、盗人森」には黒坂森を加えて四つの森、「山男の四月」では七つ森、そして「烏の北斗七星」には森を「杜」で表記している。また「かしはばやしの夜」の舞台はその名のとおり柏の林なのです。

  これらの森を注意してみると「どんぐりと山猫」では主人公のかねた一郎が山猫の所在をたずねながら谷川に沿った道を川上に行くと、谷川の南に「まつくろな榧の木」の森があったのです。

  その「榧の枝はまつくろに重なりあつて、青ぞらは一きれも」見えないほど鬱蒼(うっそう)と茂ってい
ます。この坂道をのぼって森を抜けると、「うつくしい黄金いろの草地」の広場にぽかっと出ました。

  一郎はこの広場で山猫の馬車別当、山猫、黄金いろのどんぐりたちと出会います。この広場とは山猫の住む別世界(異界)をあらわすもので、「まつくろい榧の木の森」は別世界への境界として存在させているのです。「若い木霊」で「暗い木立」の「黒い木」と指すのも、「タネリは」でヒバや榧を「陰気」で「暗い」と性格づけているのも別世界(異界)への境界を表象したものと理解されます。

  このように「日常の世界」の対概念として「非日常の世界」‖異界が想定されることは、古代から日本文化に構成される異界観としてよく知られているが、宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』にも現代の異界観が強烈に反映しています。

  「トンネルの向こうは不思議の町でした」という劇場用のコピーの通り、10歳の少女荻野千尋が引っ越し先のニュータウンのすぐ裏にあった森の中にあるトンネルを抜けると、緑の草地のその先に不思議な町があった。

  その奥に「油屋」という湯屋があり、千尋はこの油湯で「千」という名で働く。湯屋には異界の住人たちが働き、疲れを癒やしに訪れる異界の神々をもてなす宿屋でもあったのです。

  古代から異界との境界には坂や河という装置があったが、宮崎アニメでは「森」が第1の装置、「油屋」が河に架かった橋の向こうに在り「河」が第2の装置に設定されている。

  「どんぐりと山猫」の場合は「まつくろい榧」の森(境界)が装置でこの森を抜けると「うつくしい黄金いろの草地」という異界の広場に出るのです。この異界は浄土を意味するドリームランドなのしょう。

  それに対して「若い木霊」や「タネリは」の「暗い森」からは「何かきたいな怒鳴りや叫び」が聞こえてくるのです。この「怒鳴りや叫び」は森の向うの異界からの反響とみられ、森の前にじっと立っている「犬神みたいな」妖怪の装置から森の向うの異界は、浄土とかドリームランドと対極にある世界で守護神の「犬神」の存在から死者の住む冥府と推察させられます。それゆえに母親はタネリに「森へは、はひって行くんではないぞ」と警告したのでしょう。

 ■童話「どんぐりと山猫」(抜粋)

  一郎がすこし行きましたら、谷川にそつたみちは、もう細くなつて消えてしまひました。そして谷川の南の、まつ黒な榧の木の森の方へあたらしいみちがついてゐました。一郎はそのみちをのぼつて行きました。榧の枝はまつくろに重なりあつて、青ぞらは一きれも見えず、みちは大へん急な坂になりました。(中略)その坂をのぼりますと、にはかにぱつと明るくなつて眼がちくつとしました。そこはうつくしい黄金(きん)いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まはりは立派なオリーヴいろのかやの木のもりでかこまれてありました。

  その草地のまん中に、せいの低いをかしな形の男が、膝を曲げて手に革鞭をもつて、だまつてこつちをみてゐたのです。(以下略)


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