盛岡タイムス Web News 2011年 2月 26日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉200 岡澤敏男 「暗い陰気な森」と「盗森」

 ■「暗い陰気な森」と「盗森」

  童話「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」はホモイタネリの小屋(お家)が起点となってお話が展開する。それではタネリの小屋はどこに所在するのか。それを暗示するのが「でまかせのうた」にある。

  うたにある藤蔓の色は陰陽五行に基づき方位を表し、時計回りに東(青)・南(赤)・西(白)・北(黒)を指している。タネリの小屋の前は枯れた草が「黄色であかるく」ひろがっている。五行の配当表で黄は中央を指し起点を意味しているのです。

  タネリの母親は藤蔓の繊維で藤布を織っているが、前にも述べたように藤布を10反織るには親指の太さの藤蔓が500〜600本を必要とするという。そうなれば藤蔓を採取するエリアはかなりな広域と見なされるから、東の山とは姫神山、南の崖は鬼越峠・燧堀山、西の森は七つ森、そして北の洞とは三森山域(焼走り溶岩流)が想定されるわけです。

  タネリの小屋がそれらの中央部に所在するならば、おそらく一本木付近に位置するものと考えられる。

  その一本木付近からどのような経路を通ってタネリは「ひばよりも暗く、榧よりももっと陰気な森」の近くまでたどりついたのか。その「暗い陰気な森」に出会うまでにタネリは丘を四つ越えたらしい。

  第一の丘とは枯れた草穂と雪が残る一本木野から四本の柏の木が立つ柳沢の湧口までのことで、湧口付近には「小さな湿地」がある。

  ここからから鞍掛山の麓までが第二の丘、そして四本の栗の木が立つ鞍掛山の麓の第三の丘で「一匹の大きな白い鳥(鴇)」と出会います。

  鴇(とき)は丘の下の春子谷地とみられる「小さな谷間の、枯れた葦のなか」へ降り、春子谷地から南の空に飛び出してやがて「はるかな西に迂回」していった。タネリも鴇の後を追い西方の第四の丘へと上るのです。

  その丘は焼切山付近の地形であるらしい。この丘の下はゆるやかな野原となっていて、その向こうにこんもり繁るのが「暗い陰気な森」です。この森を地形図上で照合すれば「盗森」と一致するのです。

  これは決して偶然なできごととは言えないのです。すでに童話「狼森と笊森、盗森」において賢治は「盗森」について「松のまつ黒な森」と描写しており、大正期には「盗森」の姿は実際に「暗く陰気な森」のイメージだったのかもしれません。

  偶然と言いきれないことがもうひとつあります。それは「森の主」の性格に共通性が見られることです。盗森の主は「まつくろな手の長い大きな大きな男」であり、また「タネリは」の「暗く陰気な森」の主も「顔の大きな犬神みたいなもの」として出現しているところから、賢治は「盗森」をも異界との境界の森として発想していたのかもしれないのです。

  「狼森」や「笊森」の主はとぼけてユーモラスな狼や山男であるのに、「盗森」の主は〈異形な黒人〉を配属しているのは、たぶん異界への好奇心のあらわれだったのでしょう。

  柏の木ややどりぎが寄生する栗の木立、湿地にはミズバショウやザゼンソウ、窪みにはサクラソウやカタクリが可憐に咲く四つの丘をめぐる自然景観や、冬眠から覚めて穴からのそのそ這い出るヒキガエルの呪文のような声や、またなまめく鴇の誘いの極限に存在する「暗く陰気な森」など、早春の岩手山麓に展開するタネリの童話の世界には、賢治が跋渉した岩手山麓の風景がいっぱい集積されているのです。

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