盛岡タイムス Web News 2011年 2月 28日 (月)

       

■ 〈昭和30年代〜ぼくの東京〉藤田祐二郎 多摩川の砂利採取

     
   
     
  ようやく復興に勢いが出始め、骨材として川砂利が多く使われ始めた。大型機械で採取しトラックで運ぶ。都心に近い河川は皆砂利採取の動きに支配され、河川は死に始めた。多摩川が最も打撃を受け、採取穴で子どもがおぼれ死にした。名物のアユやその他の生物が消えていった。橋脚の基礎がえぐられ、護岸が崩れ、洪水で被害が拡大し、次第に死の川となっていった。行政は何の手も打たず見放したままだった。住民が騒ぎ出してから少しずつ金を使い出したが、時遅く多摩川は数十年間死んでいた。

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