盛岡タイムス Web News 2011年 7月 1日 (金)

       

■ 〈不屈の意志〉田清、清次郎・田村清記社長に聞く 客は減らない

     
  震災後の状況を語る田村社長  
 
震災後の状況を語る田村社長
 
  田村清記氏は、盛岡市の鮮魚店の「田清」と回転寿司(すし)の「清次郎」を経営する。震災直後の中三盛岡店の爆発事故では支店の閉鎖を余儀なくされた。今は、中三が閉店したビルの一角に新店舗を開店準備し商店街再起の先頭に立つ。全国の同業者と協力し三陸の海の幸の復活に一肌脱いでいる。田村社長に東日本大震災津波に伴う対応と、店頭での三陸の海産物の状況などを聞いた。(鎌田大介)

  -震災のときの状況は。

  田村 自分は北上の清次郎のそばにいた。すぐ停電になって従業員の安否を心配した。各店や本部に電話したがつながらない。何度も電話しているうちに青森、仙台の店にやっとつながり、徐々に従業員が無事だと把握できた。店舗がどうなっているか分からず、1日混乱していた。店は通電していても、食材が入ってこないので1週間は店を閉めた。田清の本店は電気はだめでも水道が出た。近隣のマンションは電気で水を引っ張っていたので全然使えなくなり、うちの店の水道に皆さんが水をくみに来ていた。

  -三陸の海産物の入荷は。

  田村 今は漁も始まって、震災前と同じ形にはならないが、魚は少しずつ入ってきた。震災直後は三陸の魚は何も入ってこなかった。うちは市場とのつきあいで、岩手県外など至るところから魚が集まってくる。三陸の地産地消の寿司は提供できないが、食材は比較的集まった。

  -中三のビルのハンバーガー店跡に新店舗を開くのは。

  田村 中三を利用していたお客さんから、魚屋に限らず店がなくなって不便だという話を聞いた。中三で働いていた従業員約25人は各店で働いてもらっていたが、どうしても人があふれ、働く職場を作らないと辞めてもらわざるを得ない。雇用を守ることが必要。中三で働いていた人がほとんどなので、一番近い場所があそこだった。もちろん町のために何かしようという気持ちがあった。
  1階は丸の魚と切り身と刺し身と寿司。中三の地下にあった店よりスペースが狭いので、品ぞろえは以前より少なくなるかも知れない。持ち帰りの寿司や総菜などをお客さんに利用してもらっていたので、対面で寿司を握って、刺し身も注文してもらって出すようにする。
     
  清次郎の炊き出しの様子  
 
清次郎の炊き出しの様子
 

  -三陸のためにできることは。

  田村 直接漁業者と話はしていないが、うちの店は炊き出しに何度も行っている。釜石や、ロータリークラブの要請で陸前高田、山田、うちの従業員が大槌出身なので大槌にも行った。震災があってすぐ釜石にしゃりや筋子を持って行った。4月には日本回転寿司協会で「がってん寿司」などのすし屋の職人さん10人が来て、釜石の避難所でマグロの解体ショーをやり、寿司を握って出した。浜の人たちはいつも魚を食べている。魚が食べられなくなっていたのが、久しぶりに食べられたと喜んでくれた。今は暑くなって生ものは適さないが、皆さんがお寿司を食べたいという。

  -震災後の自粛ムードへの対応と復興の見通しは。

  田村 震災後は寿司はぜいたく品なので、売り上げが激減すると思った。実際に店を再開したら震災前と同じかそれ以上にお客さんが来て、盛岡、北上、水沢、仙台の店は昨年対比で100%以上。昨年と変わらない売り上げでありがたい。われわれの商いは魚を取ったり海産物を養殖する人がいて初めて成り立っている。その人たちに復興してもらい、おいしい魚を提供できないと商売は成立しない。三陸で魚が取れれば真っ先に召し上がってもらうのが使命だ。
  復興のためには雇用の場が必要。三陸に行くと今まで働いていたところがない。三陸の人が働ける環境を作る。義援金も大事だが、それは一時のこと。税金を払えるようになって初めて復興したと言えるのではないか。


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