盛岡タイムス Web News 2011年 7月 6日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉236 伊藤幸子 「ひとと逢ふ」

 ゆるやかに着てひとと逢 ふ螢の夜
                        桂信子

  ひとつの作品を読み、作者を知り、その人の生きた時代を知って、あらたな発見、感動に包まれることがある。今、私は桂信子さんの作品世界から、まるでごく親しかった人々の輪にまぎれこんだような思いにとらわれている。それまでは何の接点も持っていなかったのに、ただ作品に流れる同じ魂の色合いとでもいうような、ハッとさせられる部分が重なっているのだ。

  桂信子さん。大正3年大阪生まれ。祖先は信州伊那の城主という。書画骨董や芸術性の洗練された家風に育ち、早くから詩歌の道も学ばれた。「俳句との出会いは向うからやってきた」と述べられるが、昭和13年、憧れの日野草城に師事。信子さん23歳のときの由。

  結婚は25歳で、お相手は桂七十七郎(なそしちろう)さん。「ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ」「夫とゐるやすけさ●(蝉の旧字体)が昏れてゆく」しかし、幸せは長く続かなかった。ご主人は外国航路の汽船会社のパーサーで、帰国すると喘息を患うようになり、なんとこの結婚生活は2年にも満たなく、喘息発作で夫君に先立たれてしまった。

  掲出句は昭和23年作、第一句集「月光抄」所収。氏の代表作として知られる。すでに夫亡きあと7年も経過。「やはらかき身を月光の中に容(い)れ」「ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき」この身体的感性に瞠目する。昭和24年のまだ混沌の世相に女身の疼(うず)きを詠みあげた。

  そして、次の句に出会った。「夫とゐて子を欲りし日よ遠き日よ」ああ、これは、みちのくの女流歌人、原阿佐緒ではなかったか。そう、私の書架に、今日はすぐ見つかった。「君とゐてわが生ままくの子を欲しと思ふ日のありかなしき極みに」原阿佐緒、東北大理学部教授石原純博士との同棲期間の時の歌である。大正12年、関東大震災の東京は大惨事だったが二人の住む千葉県保田海岸の靉日荘は無事だった。ここでの愛の日は昭和3年まで続く。明治20年生まれの阿佐緒は昭和40年代まで家族のもとでながらえた。

  関東大震災を経て戦争を経て、信子は夫を喪ってますます句作に打ち込むようになる。「寡婦ひとり入るる青蚊帳ひくく垂れ」「いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす」青蚊帳、螢、稲妻の光が連鎖する。そして「ひとり身にいきなりともる晩夏の灯」これが人生。無垢で強靱な生あればこそ、いきなりの発光にも堪えられる。「雪たのしわれにたてがみあればこそ」雪原を駈ける若きたてがみ、生命力盛んな句を遺し、平成16年12月、満90年の生を閉じられた。
(八幡平市、歌人)


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