盛岡タイムス Web News 2011年 7月 12日 (火)

       

■ 〈幸遊記〉27 照井顕 毛利素子のジョニーへの手紙

 手元に1通の手紙がある。2008年9月9日午後に陸前高田で投函されたもの。その10日ほど前の8月31日、僕の母校である県立高田高校の高高祭に招かれ、バンドを連れて行った時の礼状である。

  差出人は、同校生徒会指導をしていた毛利素子先生。準備から当日のお世話までしてくれた。最初にお会いした時は、生徒と見間違ったほど、若くてハツラツとした美しい先生でした。

  手紙には、演奏のお礼のことばと、あの日高田高校で演奏した、若いジャズバンド(全員20代、大学生も含む)だったことから、高校生に近いこともあって、生徒たちが、憧れのまなざしで鑑賞してくれたことなどが書かれ、「初めての一般公開も予想以上に地域の方々が来校し、喜んで帰って行かれました。生徒会執行部の反省会では“開運橋のジョニー”でみんなで生演奏を聴いてみたいという生徒の声もありました」と。

  同封の生徒会会長・佐藤凌太君からは、「友達の影響でジャズは聴いていたのですが、生演奏は初めて、雰囲気がとても出ていて穏やかな気持ちになりました。演奏や歌は素晴らしいものだと思いました。吹奏楽部やバンドをやってる生徒の顔つきが演奏が始まったとたん変わり、目を輝かして聞いていた」とも。

  その演奏を報じた9月3日付の新聞記事のコピーも同封されていた。昔からの店のお客さんで当時の校長だった戸羽茂さんからもはがきで「心洗われる思いがした」と来ていた。

  そしてつい先日、当時の高田高校生だったという20歳の男女4人が、高田から盛岡の開運橋のジョニーへやって来た。「ジョニーのおっちゃん!あの時の毛利先生津波でいなくなったよ。水泳部の生徒を救(たす)けにプールへ戻ってね」

  彼女は北海道小樽の出身で弘前大学を卒業して岩手で先生になり、あの08年に高田高校に赴任した。昨年、同僚の小野寺浩詩先生と結婚したという29歳。僕からは、返事もお礼の手紙も出さずじまいでした。ごめんなさい。彼女はあの宇宙飛行士・毛利衛さんの姪子さんでした。
(開運橋のジョニー店主)

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