盛岡タイムス Web News 2011年 7月 29日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春を育んだ書簡群〜学友たちからの手紙〉35 八重嶋勲 「怠けた罰今来たり」と啄木

 ■石川啄木
  60 巻紙 明治三十四年八月二十四日付
宛 (紫波郡彦部村大巻 野村長一様)菫舟
発 (岩手郡渋民村 石川 一)  翠江
 
昼の間のむし暑きにも似ず夕暮の哀れにも細々しき虫の音の早や秋知り顔なるに、なにとなふ独り山寺にこもり居ることの物寂しき心地になり候、長しとのみ思ひし休暇も早や僅か一旬を残すのみとなり候へば急にあわてゝ遊び居り候、昼寝にのみ費したる故今更口惜しくも思はれ候、
先日の杜陵館の会合実に面白く候ひしかな、せめて月に一回などゝ馬鹿気なことを考へて独りあきれ居候、
四十日怠けた罰今来たり候、『三日月』の原稿書かで遊びし故只今になりて眉毛に火のついた様に候、然し気許りあせつて何も出来ず益々あせり居候、短い故歌はかいなぐり候へ共自らあきるゝ駄作のみ、いや早や昼寝は決してなすまじき者と急に悟り申候、
然し盛岡に出たならば何か一ツ騒ぎをかつぎ出すべく考へ居候、
九月の『三日月』が如何に美装せらるゝか?明けくれ之れを考へてほくほく喜び居候、それは自分等のかく原稿に目をつけたのではなく偏へに兄等に頼みまゐらするのに候、いづれたくさむかいててくださるならむと難有存居候、
今度の田園生活中に様々のことを考へて見候、しかし矢ッ張りだめに候、悟つたのは十分の一許り、否々百分の一にもみたず候、然し後来幾分か自分の挙動が変るならむかと悟つた人の様な気で考へることも有之候、馬鹿は矢ッ張り馬鹿に候、元来小生は余程悪戯好きの人間(?)に候して何時もその悪戯が成功するのに候、奇妙に候、所謂天下の佞人奸者と云ふ者なるべく候、困り候、自分で叱りて見候へ共なんでもなくて舌を出して冷笑致し居候、然し今後はあまり罪は造らざるべく候、罪がごく薄くてすばらしい活動をやらむと考へ居候、出来るや否や疑問に候、それも矢張罪に候べくや、
独りで考へて自分を乳臭いと考ふに候、いづれ兄等の誘ひに従ひてだんだんと年老になるべく候、御笑ひ被下度候、
由来小生は世人より甚だしき誤解をえ居候、之も一興になるべく候、誤解して小生を邪魔にして苦にして敵視する人哀れに覚え候、然し小生は真人間たる以上は神でもなく悪魔でもなく人に候、死後まで悪しざまに云はれる様なことはなすまじく候、何か罪ほろぼしに功徳になることなどゝは思ひもよらず候、不平のもらし所なくて困り居候、用なきことはこれにて止め申すべく候、何時でもお叱り被下度願上候、来るべき秋は非常に面白からむとまをり候、運動会の二時間、報知、校友会雑誌、三日月、六〇五、五月雨などまた何か会もあるべく面白かるべく候、
いらない事永々とかき続け御申訳なく候、先はこれだけ 頓首
  八月廿四日午後  翆江拝(一・啄木)
  菫舟兄 足下
二白 当地昨今赤痢大繁盛にて困り候、全戸数の十分の一は交通遮断の家に候、お気に合はなかつたら御容謝(赦)、乱筆御免、
 
  【解説】夏休みを怠惰無為に過ごし、あと10日あまりとなってあわてている様子を伝えている。そして休み明けには盛岡に帰り、「運動会の二時間、報知、校友会雑誌、三日月、六〇五、五月雨などまた何か会もあるべく面白かるべく候」と、友人たちと面白く過ごすことを楽しみにしている内容だ。

  文中「何時でもお叱り被下度願上候」があり、先輩長一を敬っている様子が分かる。

  回覧雑誌『三日月』は、明治33年秋、啄木が古木巌と共に発行した回覧雑誌。第2号は明治34年5月に発行していたことが金田一京助宛書簡から分かる。

  同書簡から雑誌の名前は「末ながく望ある」ということで『三日月』にしたことが記されている。第3号は明治34年6月25日発行。その後、この雑誌は『五月雨』と合併し、新たに『爾伎多麻』という名になったという。

  この手紙の日付等から推量するとその丁度過渡期であるらしい。啄木を「敵視する人」とは、同級生の猪川浩あたりか。猪川浩も、長一と相当に親しい。

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