盛岡タイムス Web News 2011年 7月 30日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉222 岡澤敏男 象の頭はインドの神か

 ■〈象の頭〉はインドの神か

  賢治は岩手山麓を跋渉した際に「歩きながら手帳に書きとめて」いたというから、岩手山麓を舞台にした「水仙月の四日」と「ひかりの素足」に地形図に重ねて読みとくことも童話をより深く理解する方法なのかもしれない。

  それら二つの作品を地形上からシチュエーションをみるとき、少年たちの住いは共に姥屋敷だったと思われるが、父親たちの炭焼きの山小屋の所在は別々で、「ひかりの素足」では鬼越坂の近くの金沢の瀬音がごうごうと響くほとりにあり、「水仙月の四日」では大沢坂峠の西口の外山地区にある林間に設定されているように見受ける。

  そして「水仙月の四日」の子どもは、外山の炭焼き小屋から赤い毛布(けっと)にくるまって姥屋敷の住いに戻るために〈大きな象の頭のかたちした〉雪丘の裾を赤い毛布(けっと)にくるまって急ぐのです。また「ひかりの素足」の一郎と楢夫兄弟は〈大きな象のやうな形の丘〉の中腹をまわり始めたところでした。

  前述したように、〈象の頭の形の丘〉のモデルには燧堀山が比擬されているが、大正時代の地形図を見ると燧堀山の中腹を迂回する道が点線で表示され、鬼越坂の東口から西に迂回(うかい)して姥屋敷へ通じる道と合流しているのです。

  燧堀山は名称どおり江戸時代には火打ち石の採掘の盛んな山で、中腹を迂回する道を石切りの人たちが通ったと見うけられます。ちなみに「疾中」の詩篇〔眠らう眠らうとあせりながら〕の後段には、「きれいな初冬の空気のなかを/石切たちの一むれと/大沢坂峠をのぼってゐた」と詩章にある。

  「石切たちの一むれ」は大沢坂峠を西に越えて北行し、燧堀山の迂回路を抜けて鬼越坂の東口から仏沢筋にあったとみられる凝灰岩の採掘場に向かう人たちだったと推察されます。

  鈴木賢司氏は『宮沢賢治/幻想空間の構造』のなかで、〈象の頭の形の丘〉を不吉な死の世界に通じるものと指摘している。それは赤毛布の子どもが〈象の頭の形の丘〉の裾を歩くうちに吹雪にまかれ死にそうになること、また一郎・楢夫の兄弟は〈象の頭の形の丘〉をめぐるうち吹雪に遭い弟の楢夫が凍死してしまうことにより不吉視したのでしょう。

  しかし「水仙月の四日」の赤毛布の子どもは吹雪にまかれ死にそうになるが、雪童子が投げ与えた黄金いろの「ヤドリギ」の小枝を、雪に埋もれながらもしっかり持っていたために救出されるのです。

  しかもこの「ヤドリギ」は〈象の頭の形の丘〉の頂の栗の木にあったものだから「不吉な丘」とは言えないのです。

  「ひかりの素足」ではたしかに弟の楢夫は凍死します。しかし兄一郎は凍死の極限状態にあっても「弟を棄てなかった」ことを褒めて仏は救うのです。こうした事情を考え合わせれば〈象の頭の形の丘〉を一概に「不吉な死の世界に通じる」とは言えないが、「ひかりの素足」における〈象の頭の形の丘〉の役割りにも「水仙月の四日」ほどには定かでなく、なにか仏教的な思想と関係ありそうです。

  真言密教では象の頭をした神がある。ガネーシャと呼ばれるインドの神様で、「ありとあらゆる障害を取り除く力をそなえている」と信仰されている。賢治は〈象の頭の形の丘〉とガネーシャとを習合させて、生死を迷う一郎に、法華経の「にょらいじゅりょうぼん第十六」を唱えさせたのかも知れません。

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