盛岡タイムス Web News 2011年 8月 3日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉240 伊藤幸子 「8月は逝く」

 八月は逝く いくたびも 逝く 逝くものを 残し て逝きしうつせみも逝く
                                山中智恵子
 
  8月がくるたびに、この歌を思う。山中作品というと「むずかしい」と全身で反応し、それでもわからないなりに惹かれて読んできた。ことに盛夏のこの歌は私のつきせぬ暗誦歌だ。なんと「逝く」が5句すべてに詠みこまれ、まさに日本の8月を被いつくしている感じ。

  山中智恵子さん、大正14年名古屋市生まれ。昭和20年、20歳で終戦、学徒勤務先から帰郷。26年まで中高校の教職。21年に前川佐美雄に師事、29年「短歌研究」50首詠に応募佳作入選。因(ちな)みにこの時「乳房喪失」で中城ふみ子が華々しくデビューし、石川不二子さんも名を連ねられた。32年、第一歌集出版後、塚本邦雄を知り、前衛短歌の方向性を意識される。

  平成18年3月、17歌集もの偉業を遺し、心不全にて他界80歳。もう5年もたったが、このころ春日井建、塚本邦雄といった日本を代表する前衛歌人たちが世を去られた。

  その年「短歌研究」6月号で〈山中智恵子追悼特集〉を組んでいる。石川さんの短文に、「春の獅子座脚あげ歩むこの夜すぎ きみこそはとはの歩行者」をあげ「〈春の獅子座〉はわが偏愛の一首である。山中さんの歌はむつかしいが〈恋〉でみんな解けると、馬場あき子さんが教えて下さった」とあり納得した。

  70年安保、学園闘争のさなか、山中智恵子歌集「みずかありなむ」を大学ノートに写して読み合ったと回想される永田和宏さんと河野裕子さん。永田さんは「ひとなくてひぐらしをきく夕ごころあるかなきかに生きてあらむか」を、河野さんは「さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥(くら)き遊星に人と生れて」を抽出、激しく生きた先輩歌人を偲ばれた。

  「青人草(あをひとぐさ)あまた殺してしづまりし天皇制の終(をはり)を視なむ」は道浦母都子抽出歌。「散文で述べたらすぐ街宣車が来るのでは?短歌でしか、山中智恵子でしか言えない一首」とおさえる。

  「雨師(うし)として祀り棄てなむ葬り日のすめらみことに氷雨降りたり」昭和天皇大喪の礼は2月24日、新宿御苑で行われた。まる一日雨降りだった。「雨師」とは雨乞いの霊力をもつ人。「昭和天皇雨師としはふりひえびえとわがうちの天皇制ほろびたり」とも詠まれ、まさに昭和の歩みは山中本人の歩みであった。

  厳しい歌、難解な歌の中で、私の好きな合歓(ねむ)の歌「記憶こそ夢の傷口わが夏は合歓のくれなゐもて癒されむ」もろもろの傷口もやんわりと包んで、くれないの合歓の花が揺れている。
(八幡平市、歌人)


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