盛岡タイムス Web News 2011年 8月 6日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉223 岡澤敏男 ヘングスト

 

■ヘングスト(Hengst)
  長篇詩「小岩井農場」パート三に〈ヘングスト〉とよぶ馬の名が出てくる。間伐材とみられる松の生丸太を積む荷馬車を引いてきた挽馬に対して賢治が呼びかけた名前です。
 
  この荷馬車には人がついてゐない
  馬は払ひ下げの立派なハツクニー
  脚のゆれるのは年老つたため
   (おい ヘングストしつかりしろよ
   三日月みたいな眼つきをして
   おまけになみだがいつぱいで
   陰気にあたまを下げてゐられると
   おれはまつたくたまらないのだ
   威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)

ヘングストとはドイツ名でHengstをあてたらしい。Hengstとは種牡馬を指すので、この馬車を引くハクニー(ハツクニー)の老挽馬も、昔はさぞかし名のある種馬だったのだろうと〈貴種流離譚〉もどきにヘングストと呼びかけたのでしょう。

だから自負心を忘れないように「しつかりしろよ」と励まし、「威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ」と叱咤しているのです。

  種牡馬の語意を持つヘングストはどんな種類の馬にも適用するが、賢治が命名した〈ヘングスト〉は不特定の馬種を指しているのではなく、この「馬は払ひ下げの立派なハツクニー」と指定している点が注目されます。

  ハツクニーとはハクニーのことで、賢治がハクニーの老挽馬にヘングストと名付けたのは、小岩井農場で活躍した名種馬ブラック・パフォーマー号を比喩してのことだったのではなかろうか。

  ブラック・パーフォーマー号は小岩井農場が明治35年にイギリスから導入したハクニー種牡馬、大正10年まで種付用に供されており、その産駒は農場産141頭、場外産82頭という功績を残した名馬でした。

  賢治が「小岩井農場」を書いたのは大正11年5月のことなので、ブラック・パーフォーマー号もすでに引退して払下げられ松丸太の挽馬になったものと見立てたのでしょう。それだから尊称を秘めドイツ語で〈ヘングスト〉と呼び掛けたのです。

  賢治はハクニーに特別の価値観をもっていたことを「小岩井農場」パート一に表明しています。

  馬車がいちだいたつてゐる
  馭者がひとことなにかいふ
  黒塗りのすてきな馬車だ
  光沢(つや)消しだ
  馬も上等なハツクニー

その価値観に存在するのは小岩井農場がつくりあげた「小岩井ハクニー」と称されるハクニー改良種だったとみられる。

  「小岩井ハクニー」はサラブレッド種とハクニー種の交雑で、サラブレッド種の血液25%を保持するように配合されたハクニー改良種です。軽挽馬として理想に近い体型といわれ時勢に合っていて、種牡馬あるいは中間種の繁殖用として好評でその需要が急速に高まったから、馬好きの賢治は四肢端正な「小岩井ハクニー」のコップ型体型にすっかりほれ込んだものと思われます。


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