盛岡タイムス Web News 2011年 8月 7日 (日)

       

■ 謎の巨大柱穴が出土 盛岡市下飯岡、9世紀に志波城見てまねた?

     
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  県文化振興事業団埋蔵文化財センターの二又遺跡発掘調査現地説明会は6日、盛岡市下飯岡地内の現地で開かれた。調査から平安時代とみられる直径1b以上の柱穴のある掘立柱建物跡が1棟見つかった。国指定史跡志波城が近くにあり、造営された803年より少し後で同じ9世紀ごろとみられる。担当する調査員は「建てた人が志波城の関係者か」などと推測しており、解明に期待が集まる。

  主要地方道盛岡和賀線の改良工事に伴う調査。盛岡市教育委員会と合わせて通算11回目の調査になる。場所は南北に細長い約200b、面積3460平方b。北西1・5`に志波城がある。調査期間は5月6日から今月まで。

  担当した川又晋、巴亜子両文化財調査員によると、掘立柱建物跡は調査地中央部に位置し、東西方向8b、南北5・4b。柱穴は10カ所あり、どれも直径1b前後、大きいものだと直径1・3bある。建物規模は極端に大きくないが、柱穴だけが突出して大きい。

  当時使用された柱自体は直径30〜40aほどで、柱を据えたあと、周りに土を埋め戻して突き固めた様子が確認できた。建物の高さの推定は難しいという。

  川又調査員は「出土した土器などから志波城よりも少し後にできた建物のようだ。志波城は造営後に洪水で流されたが、おおむね同じ9世紀中とみられる」と説明する。

  そのうえで「掘立柱建物はどの集落にもあるわけではない。ここでは集落の中心にあり、公民館的機能があったのではないか。同じ柱穴の規模は志波城以外にはない。関係者か造った人または子孫か、志波城に行った経験があり、試しに同じような建物を造ったのかもしれない」と推測していた。

  調査ではほかに平安時代の竪穴住居跡8棟が見つかった。縄文時代の狩猟用の落とし穴やプラスチック・コンテナ4箱分の遺物も出土。遺物の中には江戸時代から明治時代に使用された通貨もあった。

  9月以降に道路が付け替えられ、さらに西側の調査が行われるという。

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