盛岡タイムス Web News 2011年 8月 24日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉243 伊藤幸子 「江戸の町」

 江戸の町偲ぶよしなきビル街に玄冶店(げんやだな)跡の碑文つつまし
                                    土屋好男
 
  「勤めする土地を知りたく昼食あと阿佐谷の町あてどなく行く」とも詠まれる作者は、長く東京都下の郵政の職に励まれた。「寒々と月明り射す構内に狸棲むなり楽し職場は」の歌には〈郵政省中央レクリエーション・センター〉の詞書がある。都会のまんなかにもタヌキが棲む話。どこもかしこも開発されつくしているようでも、歩いてみるとけっこう自然が残されて樹木や泉が大切にされている。

  古地図によれば、日本橋の東、新和泉町の北側と南側の間に〈玄冶店〉と呼ばれる狭い路地がある。玄冶店は天正年間の医者、岡本玄冶の名に因む所で、慶長9年、徳川家康の奥医師となる。のちに和泉町の一郭に屋敷を与えられ、それが玄冶店のいわれという。いやそれよりも、歌舞伎お富与三郎の「源氏店の場」が広く知られている。文化文政年間の、一町足らずの路地についたゆかしい名の跡地がなつかしい。

  「浮彫りに江戸期の美女の並びゐる雅叙園の廓は夢ひらく彩」一度行ったら忘れられない目黒雅叙園。昭和6年細川力蔵によって創設され戦争直前まで拡張工事がなされた。黒漆に螺鈿(らでん)、色鮮やかな浮き彫りの派手やかさ、百段階段の豪華さに圧倒される。

  「世田谷の名うての人出のボロ市に値切りて購(もと)む革の鞄を」「至芸とも親しみ見たるボロ市のバナナの叩き売り去年今年なし」世田谷在住の作者、ふりむけばよどみない口上に、大道芸の神髄があった。

  大正12年生まれの氏には「侵略の意識などなく励みたる兵たりし日の夏がまた来ぬ」「復員の貨車より見たりき広島の焼跡に炊(かし)ぐ親子らしきを」といった戦争詠もみえ、戦後は広く芸術文化の造詣も深く、海外詠も多く詠まれる。

  そしてことし6月、第二歌集「鵜の岬みち」を刊行された。「海よりの風をさへぎる篠衾(しのぶすま)ありて蒸し暑し鵜の岬みち」第一歌集のあと30年余の708首が収められた大冊である。明るい夏のあさぎ色の絹帖りの表紙に、著者撮影の岬の遠望写真が重厚なカバーとなっている。

  「差し交す枝のいづれか音もなくわくら葉散らす段葛(だんかづら)ゆく」ひと昔も前か、全国大会の帰途、鎌倉の鶴岡八幡宮の参道の段葛をご一緒に歩いたことがあった。ともに同じ景色を見ても、心が澄んでいなければ、わくら葉を散らす風のさやぎも感じとれない。「満洲に兵たりし身が八度目の亥年を迎ふ梅咲かせつつ」と詠まれてから4年、相変らず老いとは無縁であられるようだ。
(八幡平市、歌人)


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