盛岡タイムス Web News 2011年 10月 1日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉231 岡澤敏男 ハギボダシと馬番の理助

 ■ハギボダシと馬番の理助

  盛岡市内の青果店には旬のキノコが並んでいます。真っ先に岩手山のマツタケに目が奪われるが、その隣を見ると少し黄ばんだサンゴ状のホウキダケが盛られている。

  ホウキダケから連想されるのは「柏や楢の林の中の小さな空地」に「はぎぼだしがそこにもこゝにも盛りになってはえてゐる」と、キノコの秘処を描く「谷」という童話で、賢治はホウキダケを「ハギボダシ」と方言で表記しているのです。

  童話に登場するのは馬番の理助と尋常3年か4年生頃の私の二人で、理助は首に欝金(ウコン)の切れを結んでいます。ウコンの切れとは賢治が「騎兵上りの男」の比喩として何例か用いている。

  理助の前歴が騎兵第3師団が盛岡に創設される以前に、北海道第7師団に所属した騎兵連隊の従卒だったらしく、それで「滝沢御料地」の放牧馬の馬番に雇用されたものと推察される。

  理助は翌春には「北海道の牧場」へ転勤するらしい。その牧場とは「新冠(ニイカップ)御料牧場」を指すとみられる。理助の勤務する滝沢御料地は鞍掛山と茄子焼山に囲われた高原の広大な領域で、ハギボダシの秘処とはこの御料地とあまり遠くない地点にあって、「まっ赤な火のやうな崖」が見える〈谷〉が目標と推理されます。

  その〈谷〉はどこにあるのか。かつて鞍掛山の頂に立ったとき岩手山の山腹がぐぐっと肉薄し、えぐられた谷間が影を落として視界に迫るのを実感しました。これが鬼又沢と呼ばれる大きなガレ谷のことで、童話の〈谷〉はこの鬼又沢を素材としたと推察しました。

  鬼又沢は東岩手山の前身の鬼又カルデラが崩落、浸蝕して形成されたものと言われているが、童話の〈谷〉の素姓とよく似ているのです。童話の始まりで、谷をめぐる赤い崖の横に5本の灰色の太い線が入っていることを取上げ、その成因を次のように解説する。

  それは岩手山の噴火で山の方から流れ落ちてきて、又火山灰に埋もれてしまった五層の古い熔岩流だったと素姓を解釈し、それに「崖のこっち側と向ふ側と昔は続いてゐたのでせうがいつかの時代に裂けるか罅(わ)れるかしたのでせう」と述べているのは、念頭に鬼又沢を重ねていると理解されるのです。

  この谷へ分け入るには、自分で踏破したわけでなく地形図から推測するだけだが、鬼又沢の末端が鞍掛山の北側にかなり近接していることから、鞍掛山麓で馬番をする理助ならばケモノ道の跡をたどって鬼又沢の崖までアプローチする可能性は十分にあると考えられる。

  理助は鞍掛山の背後の丘陵を柏や楢の混交林をくぐって上り、何年もあちらこちらを探索してついにハギボダシ(ホウキダケ)が密生する秘処を発見したものらしい。そして、秘処の道標として「楢渡とこのまっ赤な崖」を目指していたのでした。

  理助は近隣の児童と知っていたのでしょう。その少年がひとりで野ブドウを捕食しているのを見てハギボダシ採りに声をかけました。今まで誰れにも知らすこともなく大切に秘匿していたハギボダシの宝庫を、なぜこの少年に理助は開放する気になったのか。

  それは、たぶん来春は北海道の新冠御料牧場へ転勤が内定されていたことが理由なのでしょう。岩手山の中腹にあるハギボダシの秘処にてキノコ採りするのも今年限りだから、たまたま出会った少年が気に入ったので宝庫のカギを託すべく「ついて来い」と声をかけたのでしょう。

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