盛岡タイムス Web News 2011年 10月 1日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉14 田村剛一 洋上避難

 大きな地震があると、漁師は船を沖に避難させる。しかし、近年、そうした光景を見ることはなかった。このところ、津波注意報や警報が発令になっても、津波が来ることはなかったから「またか」と言って、漁師は船を沖に出さなかった。

  今回はどうだったのか。遊漁船の船主である友人が、その体験談を語ってくれた。

  船だまりの岸壁に船をつけ、昨晩の釣り船の後片付けをしていた。その時、地震が発生。船は左右に揺れ、岸壁にぶつかりそうになった。その勢いでぶつかったら、船は粉々に砕ける、そう思わせる揺れであった。

  地震が収まるのを待って船を降り、近くの避難所御倉山に急いだ。やっと避難して海の方をのぞくと、漁船が沖に向かって避難していた。その時、2度目の地震があった。「やっぱり船を沖に出そう」。思い直して海に向かい、船に飛び乗りエンジンをかけた。ところが急に水が引き出し、あっという間に、船底が海底に触れそうになった。

  船が動かなければ一巻の終わり。一瞬そう観念した。その後、海面が上昇を始めた。とっさに舵を切り、岸壁から離れ、船だまりの中央に船を進めた。それからすぐに水かさが増し、船だまりはうず巻き、外側岸壁にぶつかった波は大きな水しぶきをあげた。これが第1波なのではないかと友人は言う。

  海面はさらに上昇を続け、気が付いたら船は作業小屋の屋根近くにいたという。防潮堤を越えていたら、船もろとも命はなかったろう。その後、潮は再び引き出した。その引き潮に乗って、友人は船だまりを脱出。沖に出て、辛くも助かることができた。

  それから船を大島裏に進めたが、その間、海の異常を感じ取ることはなかった。だから、防潮堤を越える大津波が町を襲っていたことなど考えもしなかった。家が3軒、木材がれきの塊が数個流されてくるのと出合い、何かが起きたことだけは感じていた。むしろ、津波のことよりも、町が真っ赤な炎に包まれ、火事で全滅するのではないかと心配した。

  この友人が沖から帰ったのは、津波注意報が解除される直前の13日午後5時ころ。丸2日をあめ玉3個とペットボトルの水だけで過ごし、腹が減ったので帰ることにした、という。

  船は魚市場の岸壁に着けたが、それからが大変。がれきとまだ火のくすぶる中、役場にたどり着くまで1時間半もかかったという。

  (山田町)


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