盛岡タイムス Web News 2011年 10月 2日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉15 田村剛一 友人の証言1

  今回の大津波を正確に伝えられる人は少ないのではないか。津波を海岸近くで見ていた人の多くは亡くなっているからだ。

  いつもなら、津波警報が出ると、いち早く海岸に下り、防潮堤の上から海の様子を眺めるのが私の常であった。引き潮が始まってから逃げても遅くあるまい。そうした考えもあったからだ。それに、すぐ後ろには寺山。1、2分で避難できたからである。

  しかし、今回は海岸や防潮堤の上で、海の様子を眺めていた人は、ほとんどが死亡ないし行方不明になっている。私も、いつものように防潮堤に上っていたら、こうしてペンを執ることもできなかったろう。防潮堤に上ろうとした時「津波だ」という声で救われたが、声の主が誰であり、その後どうなったか確かめる術(すべ)はない。

  そうした意味からも、沖に避難し、無事生還した友人の体験は、証言者として重要な意味を持つような気がする。

  まず、水位が下がり、船底が海底に触れそうになったのは、間違いなく引き潮によるものと考えてよい。しかし、それで引き潮が済んだとすれば、津波の規模からして、非常に小さかったとしかいいようがない。

  私は昭和35(1960)年のチリ地震津波も同じ寺山から眺めた。その時の引き潮、といっても津波の後の引き潮であったが、はるか沖合いまで引き、それまで見たことがない岩礁や海底が露出した。あの時の引き潮から比べると、比べものにならないくらい小さいからだ。

  それと、第1波が作業小屋の屋根まで来たということは、3bはゆうに越える津波だったといえる。これが第1波だったのかどうかは今後の調査を待つしかない。第1波はもっと小さかったと言う人もいるからだ。

  友人は、巨大津波と言われる第2波と、沖に避難する途中であっているはずだが、それほど大きな津波と遭遇したという実感はなかったという。

  ただ、沖に出て、大島と小島の間を見た時、岩礁で二つの島が陸続きになったことだけは、その目で確かめたという。私が陸上で見た二つの島が陸続きになるという奇怪な光景を、船の上から友人も見ていたのである。

  津波は引き潮が怖いと言われているが、今回の津波は圧倒的に押し波が強かった。巨大な堤防も、みな内側(町側)に倒れているし、家も高台の方に押し流されているからだ。何もかも前例にない津波であったと言えるかもしれない。

  (山田町)


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