盛岡タイムス Web News 2011年 10月 3日 (月)

       

■ 〈大震災私記〉16 田村剛一 友人の証言2

 今回の大震災、地震から津波発生までの模様を正確に伝えてくれる人は少ない。その意味では、沖に船で避難した友人の証言は貴重だ。しかし、この一人の証言で、全てを説明し尽すというわけにはいかないようだ。

  奇蹟的に助かった同級生がいる。彼の体験もまた貴重。前の友人と同じ船だまりにいた。しかし、2人の体験は全く違うし、また証言も異なる。

  この同級生は、地震の時、処理場(作業小屋)にいた。少しすると、船を沖に出す人たちも現われた。どうしようかと思案している漁師もいた。

  その息子は、魚のエサにする生きメロード(イカナゴ)を買いに車で宮城県に向かった。出発したばかりなので、地震を知って戻ってくるかもしれない。それで、作業小屋で待機していた。そこに、うまい具合に息子が帰ってきた。船のことは息子にまかせ、自分は避難しようとした。

  すると、水位がみるみる上昇。息子は、船にエンジンをかけたが、船は動かない。それで小型の船外機に移り、船着場を離れた。

  同級生は、海面が外側の岸壁を越したので急いで防波堤の方に向かい、階段をよじ登った。最上段に達した時、大きな津波が襲い、背後から水をかぶった。同級生は、左右の手で手すりを握り、流されないように両足で踏んばった。波は容赦なく背後から自分を押し流そうとする。ここで手を離したら命はない。あらん限りの力を振り絞って階段の手すりを握った。

  どの位の時間、頭から水をかぶったか分からないが、息苦しくはなかったという。同級生の顔の回りで不思議な現象が起きていた。ちょうど口の周りに空間ができ、それで空気が吸えたのだという。聞いていても信じがたいことだが、そんな現象が起きていたのは事実だろう。

  そうでないと同級生は助かるはずがない。それにしても巨大な防潮堤を倒す津波の圧力を受けながら、そのエネルギーにどのようにして耐えることができたのか。信じがたい奇蹟としか言いようがない。同級生によると、防潮堤を越える津波はこの1回だけだったという。それが、第1波なのか第2波なのか。それは分からない。

  奇蹟はまだ続く。波が止んだので防潮堤を渡り下に降りた。すると、そこに自分の船があった。その船に乗り移り、石油ストーブに火をつけ暖をとったという。信じがたい同級生の話であるが、生きている以上信じないわけにはいかない。
(山田町)


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