盛岡タイムス Web News 2011年 10月 4日 (火)

       

■ 〈大震災私記〉17 田村剛一 友人の証言3

 波に流され、それでも助かったという人は多い。この友人もその一人である。

  電気店を営むこの知人は、仕事で田の浜に行っている時に地震を感じた。大きな地震であったので、揺れが収まるのを待って家に向かった。家は国道筋にあり海岸から100bほど。

  途中でラジオの放送を聞いた。「最大で20b」と聞こえたという。多分、10bの聞き間違いかもしれないがと言葉を濁した。とにかく大津波がやってくるかもしれない、そう思い車を走らせた。川向かいの事務所前で2人の男女が、周囲を気にするような素振りで立っていた。クラクションを鳴らしたが、気が付いたかどうか。

  家に着いたのは3時5分ころという。母親と妻を隣にあるコンクリート造りの建物2階に避難させ、万一を考え石油ストーブを運び込んだ。自分は店の方に戻り、レジや倉庫から預金通帳を取り出し、防災リュックに詰めた。

  2階に娘のものもあることを思い出し、2階に上った。その時、キーンという金属音を聞いた。何だろうと思って、窓を開けると軽自動車が2階近くまで浮き上がって来るのが見えた。それを見て「津波だろうか」と思った。風圧で浮き上がったようにも感じたという。

  その後、大きな衝撃を受けた。危ないと思い押し入れに入ろうとしたが、何か畳のようなもので壁に押し付けられた。その圧力で苦しくなり、このまま押しつぶされるのではないかと思った。天を仰いだら、屋根の天井がなくなり、青い空(?)が見えた。

  母親のことは思い出せなかったが、妻と娘を残して死ねないと思った。同時に気を失った。その後の記憶はしばらくない。

  気が付いた時には、がれきと一緒に流されていた。ここはどこと思いながら周りに目を配った。蛇行しながら上流の方に流されているようだ。海に流されれば命はないが、逆の方でほっとした。

  あるいは助かるかもしれない、そう思った時、目の前に電柱が現れた。その電柱に抱き付いた。必死によじ登った。その時の体の重かったこと。水面から足が離れた。体が軽くなった。これで助かると思った。白土商事という文字が見えた。俗にいわれる有楽町まで流されていたのだ。

  水の引けるのを待って電柱を下り、家に向かった。途中で家の3階から手を振る人を見かけたという話を聞いた。もしかして、妻は生きているかもしれない…。奥さんは助かったが、残念ながら90歳になる母親は2階で波にのまれて亡くなっていた。
(山田町)


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