盛岡タイムス Web News 2011年 10月 5日 (水)

       

■ 〈日々つれづれ〉90 三浦勲夫 持久力

 持続可能といえば、思い出すのは持続可能ネルギーである。エネルギー源として、半永久的に再生可能かつ使用可能なもの、例えば太陽光、風力、地熱、水力、波の力などである。

  電力は生活を営む上で、通信、交通、製造などすべての面で欠かせない。しかしここで、考えたいのは人間が生きるには、電力のみならず、生命力というエネルギーもまた当然必要であるということだ。そして生命力の一要素として持久力がある。

  生命力は生まれながらにして与えられた生物的基礎力である。食物によって維持され、カロリーを燃焼させて人は生命活動を行う。若い時は代謝率もよく活発に体を動かすことができるが、年とともに代謝率は低くなり、カロリーを燃焼するのにより多くの時間と労力がかかる。燃焼しきれないと脂肪として体内に蓄積され、生活習慣病を引き起こす。

  筋力も年と共に衰え、人は体を動かすのがおっくうになり、しまいには動かす気力さえも失う。予防するには若い時からカロリーを燃焼させ、物質代謝を促すために適度な運動をする生活習慣を持つことが大事である。それが中高年になっても体を動かすことができる体力および気力となる。

  ところが今年、私は体を動かす機会が去年より少なくなっていた。大震災の影響で学校の授業や夏休みの日程が変則的になった。家庭でも忙しいことが重なる。しかし機会が少ないとはいえ、趣味であるジョギングは全くやめるわけにはいかない。いつでも走れるようにストレッチやウオーキングは心がけていた。

  9月になり空気も乾燥し、気温も下がった。台風が去り晴天が続いたある日、久しぶりに雫石川の土手道に行った。みつや橋と舟場橋の間は往復6`である。普段もゆっくりペースだが、その日はさらにゆっくりと往復緩走した。

  走るには息が続くペースが肝要だ。もっと走れそうだったので、2往復し12`走った。一部早歩き並みにはなったが、これでも生物的な意味での「持続可能な」エネルギー使用法には違いない。

  ジョギングは若いころからの習慣である。ただし中断があった。45歳から60歳まではふくらはぎや膝を痛めて、もう走れないと思った。ところが犬を飼ったら、散歩のたび最後の100bほどを犬は走りたがった。一緒に走るうちに1`走れるようになった。犬はそれ以上走ろうとしなかったが、私は10`も走れるようになった。カムバックである。こうして長いブランクの後、「けがの功名」から一つ学んだことがある。

  人の体には再生力がある。無理せず、体力に合わせて行えば持久走もできる。肉体能力の限界内で、持続可能なペースで体を長く動かせる。若者は軽やかに走り、年配者はゆっくり走る。若者たちを見て年配者は自分の過去を思い出す。小学校や中学校のロードレース、市民ロードレース、北ロンドン市民ロードレース。ウェールズの山道。私の思い出だ。かつては自分の記録を破ろうとした。今は走れること自体が幸せだ。

  「生きる力」とは気力と体力であると思うのだが、跳ね返されてもあきらめず、いつかまた立ち向かう心の粘り、精神的な「持久力」も重要な要素であると気付かされた。これまで生きてきて得た経験知識である。
  (岩手大学名誉教授・元放送大学客員教授)


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