盛岡タイムス Web News 2011年 10月 5日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉249 伊藤幸子 「米は新米」

 稲つけばかがるあが手をこよひもか殿のわくごが取りて嘆かむ
                              萬葉集巻十四

  見はるかす田んぼ、黄金波うつ出来秋を迎えた。ふくいくと垂り穂の香りに包まれると、豊葦原(とよあしはら)みずほの国の幸を思う。萬葉集東歌(あずまうた)には朝延貴族の端正な歌とは趣を異にする民衆の労働の歌、方言、民謡、地方色豊かな動植物たちがいっぱい登場する。この歌も、大意は「毎日稲をつくので、あかぎれするこの手を今夜も御殿の若殿がお取りになって嘆かれることだろうか」と訳される。若殿と使用人というような垣根越しに労働を通したたくましいエネルギーがくみとれる。

  「おして否(いな)と稲はつかねど波の穂のいたぶらしもよ昨夜(きぞ)独り寝て」続く東歌「ゆうべひとり寝たのでおちつかなかった」と言いたいばかりに長く言葉を畳みこむ。「おしていなと」が稲にかかり、波の穂を引き出し、いたぶるというゆれ動く心に結びつける。一つの言葉にいくつもの意味を重ねて本音を導く心、作者未詳である。

  「あらき田の鹿猪(しし)田の稲を倉につみてあなひねひねしわが恋ふらくは」こちらは忌部首(いみべのおびと)黒麿の歌。あらたに開墾(かいこん)した田で鹿猪の荒らす山田の稲を、しかも長く倉の中に積んでおいたように、ひねひねしく(ひからびて)なったものだ。私の恋は、というぐらいの思いか。

  ところでこんな古歌を読んでいたら、八代目坂東三津五郎さんの「食い放題」に、同じような表現があり思わず頬がゆるんだ。いわずと知れた大変な食通の方の著書である。

  「米は新米に限る。古米は駄目だ。それも三年も四年も倉庫に入れといたのに外米をまぜられては、口や舌が拒絶するのは当然だ。秋の味覚の王者は本当は米かもしれない。なぜ昔から、新参者とか新しく入ってきた見習いの者を新米というのだろう。新米はおいしくて貴重なものなので、新参りがシンマイになったのだろう。…」

  生涯に12冊の本を出された八代目の、生前に出版を予定していた最後の本。幼少時からの「美食」の歴史が語られ、どこから読んでもおもしろい。昭和50年冬、京都の料亭でフグの毒に当たり落命された。享年68。

  「飯(いひ)はめどうまくもあらず寝(い)ぬれども安くもあらず茜さす君が情(こころ)し忘れかねつも」これは詠み人知らずの恋の歌。「ごはんを食べてもうまくなく、床についても不安で眠れない。ただあなたの心ばかりが忘れられない」と訴える切なさ。恋と食との関りは、新米古米にかかわらず千年の昔から不明であるようだ。


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