盛岡タイムス Web News 2011年 10月 8日 (土)

       

■ 〈奥尻島視察団が行く〉1 高台移転ってどうすんだ? 集落の未来かけた挑戦

     
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 東日本大震災津波で大きな被害を受けた陸前高田市広田町長洞地区の仮設住宅団地「長洞元気村」。ここに暮らす4人が9月24日から4日間の日程で、北海道南西沖地震(1993年)の津波被害から復興した北海道奥尻島を視察した。元気村では各戸が集落から離れることなく高台移転し、絆を保ったまま地域づくりを進める方法を模索している。「高台移転ってどうすんだ」「まず自分の目で見でみっぺ」。復興の意欲あふれる長洞元気村視察団に同行した。
(馬場恵、5回連載)

 視察に参加したのは、長洞元気村の村長・戸羽貢さん(60)、事務局の村上誠二さん(55)、金野義雄さん(54)、村上森二さん(68)。津波のとき、高台の学校にあって無事だった誠二さんのワゴン車で24日夜、元気村を出発した。

  東北自動車道を北上し、青森から函館、江差から奥尻に向かうフェリー航路を乗り継いで25日の正午前、島へ到着した。気持ちの良い青空が広がるフェリー埠頭。島のシンボルキャラクター「うにまる」と忙しい日程をやりくりして案内役を買って出た奥尻町役場の竹田彰総務課長(58)が一行を出迎えた。

  なぜ、この時期に奥尻島視察なのか。視察団のメンバーは全員、家を津波で流された。自営業であれば、これまでの借金に、さらに借金を重ねなければ仕事は再開できない。「ゼロどころかマイナスからのスタートだ」(戸羽さん)。それでも、はるばる出かけるのには理由がある。

  長洞元気村は地域の絆が生み出した集落専用の仮設住宅団地。26戸に21世帯98人が生活する。各家庭の米を分け合うなど、強い絆で一番つらい時期を乗り切った集落をばらばらにするわけにはいかないと、誠二さんが集落の地権者4人と交渉し仮設住宅のための民有地を確保した。

  阪神淡路大震災の教訓をまちづくりに生かす研究をしている「仮設市街地研究会」(濱田甚三郎首都圏総合計画研究所代表)の専門家も全面支援。5回にわたる交渉で市も民有地に仮設住宅を建設することを認めた。

  元気村では7月の開村以来、住民の通信手段のIT化を目指したパソコン教室、余った日用品を販売し共益費を生み出す「笑顔が集まる土曜市」など、コミュニティーを活性化させる事業を次々と展開している。次なる目標は各戸の高台移転。これも地域の力で成し遂げたいと考えている。

  元気村では濱田さんらの協力で、既に移転のための候補地を選定。浸水区域は漁業のための共同作業場などとして再生していくプランを描いている。年明けには長洞集落の復興構想案として市に提案する計画だ。

  ただ、プランを実現するためには移転候補地を所有する地権者との交渉、導入できる国・県の補助事業の検討など一つひとつのハードルを乗り越えなければならない。何より、住民の合意形成を図らなければ前には進めない。「本当にできるんだべか」。復興意欲の高い元気村の住人も高台移転、住宅再建ともなれば、やはり「半信半疑」だ。

  「ここで200年、300年続いてきた家なんだ」。家長でもある戸羽さんは80歳を過ぎた両親のためにも、1日でも早く家を再建したいと思っている。しかし、仕事を再開するための新たな借金や先祖伝来の土地を離れることを考えると迷う。それぞれ事情は異なるものの、誰もが将来への希望と不安の狭間を行ったり来たりしている。

  8月に元気村の集会所で開かれた第1回長洞集落復興懇談会では、濱田さんの説明で奥尻島の高台移転の事例も学んだ。「自分の目で見たい。奥尻へ行ってみっぺ」。視察は集落の未来を懸けた新たな挑戦の一歩だ。

(つづく)


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