盛岡タイムス Web News 2011年 10月 10日 (月)

       

■ 〈奥尻島視察団が行く〉3 悩みは人口減と高齢化

奥尻町の竹田彰総務課長(58)は被災後、約7年間、まちづくりの企画や計画に係長として携わった。自らも被災し仮設住宅に3年間、一家6人で暮らした経験を持つ。「焦っては駄目。仮設に4年はいるつもりで。まず、なりわいのことを考えなければ」と力説する。当時、島では9地区に330戸の仮設住宅を建設。住宅の再建が完了するまで、仮設住宅団地では雑貨店や理髪店、居酒屋など、さまざな商売が始まったという。
     
  仮設住宅でも理髪店を営んでいたという木元智幸さん  
 
仮設住宅でも理髪店を営んでいたという木元智幸さん
 

  青苗地区の商店街で理髪店と釣り具店を経営する木元智幸さん(58)も当時、仮設住宅で早々に商売を再開した。「最低限の道具でも覚えたお客さんが喜んでやってきてくれる。ずいぶん力になったよ」と振り返る。

  青苗漁港にはマグロ漁やイカ漁のための漁船が係留されていた。船体には「奥尻島町復興基金対象」の文字が残る。

  北海道南西沖地震で奥尻島の基幹産業である漁業関係の被害額は68億円に上った。国や北海道の支援策に加え、町は「災害復興基金」を活用し、船外機や漁具の購入を助成。漁協にも補助し、漁船を一括して取得する際の負担を軽減した。漁船は漁協組合員に5年間リースされた後、安価で売却され、ほとんどの漁民が自分の漁船を手にすることができたという。

     
  ウニの殻むき作業などに利用される共同漁業施設。内部を案内する奥尻町の竹田彰総務課長(右)  
  ウニの殻むき作業などに利用される共同漁業施設。内部を案内する奥尻町の竹田彰総務課長(右)  
  漁港そばにある共同漁業施設に案内された。93年から94年当時の復興事業で整備された建物。内部は簡単に間仕切りされた作業スペースが、いくつも連なる。各スペースに水回りの設備があり、漁業者が場所をリースしてウニの殻むき作業などに従事できる。

  「こんなのがあれば、おらほの年寄りたちも喜んで来るな」。禁漁で時間を持て余すベテラン漁師たちを見ている長洞元気村の一行は、何かヒントをつかんだようだ。

  漁港付近には、こうした作業施設をはじめ、製氷・貯氷施設、漁船修理施設、漁具保管施設などが復興事業として整備された。ただ、地震前八つあった水産加工会社のうち、現在も営業しているのは一つだけ。漁獲量は地震前の6割ほどまで回復しているが、付加価値を高めて地域全体の経済を潤す力がどうしても弱い。地震後、2、3年は島外から2千人もの働き手が来て「復興特需」に沸いたが、その後は人通りもまばらだ。

  奥尻の復興を考える会の元会長で、町商工会長も務める明上雅孝さん(61)は「昔は20軒ぐらいの集落に店はぽつんと1軒。歩いて買い物に行けた。ところが、地震後、あまりにもきれいなまちづくりをしてしまった。商店街はどの店も顔見知りで、同じものを売っている。こっちの店に入って、隣に入らないというのでは気まづい。つい足が遠のく。その隙間をぬって外からきたのが大手のホームセンター。生鮮食料品もあり、そこだけがにぎわっている」と嘆く。「今、島には商工業が170ぐらいあるが10年後には100になるのでは」と懸念する。

  島では地震前、4千人以上いた人口が現在は3100人余。全人口に占める65歳以上の高齢者の割合は30%を超える。奥尻島は島1周約2時間、面積143`平方b。陸前高田市の広田半島の約6倍の広さだが、人口はほぼ同じだ。人口減、高齢化は島にとって最大の悩みといえる。

  集落再生や防潮堤建設など島の復興に国や道、町が費やした総事業費は763億円余。防災のまちづくりを重視したあまり、産業振興や観光地としての魅力づくりが遅れたとの指摘もある。「巨額な投資をしたのに漁業後継者すら満足に育たなかった」と。

  竹田課長は厳しい現実を受け止めながらも、表面的な結果だけを見た指摘には反論する。「人口減も漁業の後継者不足も地震前から戦ってきたことだ」。

  「大事なのは今、生きている人を大事にすること。70歳の漁師が元気なら、あと10年、20年でも現役でいてもらえばいい。そのために、どうすればいいか。技術や経験も次世代に伝えてもらわなければいけない。漁港もまちも昔より生き生きした姿があってこそ真の復興だ」。
(馬場恵、つづく)

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