盛岡タイムス Web News 2011年 10月 12日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉249 伊藤幸子 からくつわ

 海へやや曲りて聳(そび)え鷹柱    鷹羽狩行
 
  敬愛する読書家の友人に貸してもらって読んだ本「白鷹(はくよう)伝」。山本兼一さんの著書はかつて「火天の城」を読み、映画も見たが今回もたちまちひきこまれて二晩で読み終えた。

  時は戦国の世の浅井長政の小谷城。「今日は死に日和になりそうだ」とつぶやく鷹匠、小林家次のひとことから物語の幕が開く。文庫本のとびらには台架(だいぼこ)に据えられた威厳のある白鷹の絵が掲げられる。それも諏訪流第十七代鷹師・田籠(たごもり)善次郎氏による細密な図版でわかりやすく、さらに専門諸道具の解説図が期待感をふくらませ鑑賞を助けてくれる。

  鷹の数え方も、一据(もと)、百据ということ、片塒(とや)は一歳、諸塒は二歳など初めて知った。そして主人公「白鷹からくつわ」の描写。「欽明帝の御代のこと、宇治の宝蔵にて唐渡りの轡(くつわ)を虫干ししていたところ、大きな白鷹が飛来し、そのくつわをつかんで飛び去った。のちにくつわは富士山麓の鷹の巣にて見つかる。重い鉄のくつわ、あれほどの鷹でなければ宇治から甲斐まで飛んで来れまい。それ以来白鷹は時折欽明帝の前に現れ、帝は鷹に導かれて反乱鎮撫をなしとげた。あの白鷹はその末裔(まつえい)である」と記される。

  家次は白鷹に惚れ、一生女色を絶つと願をかけ、ついにトリモチの仕掛けで生け捕りにすることができた。こうしてからくつわと名付けた白鷹を左拳(こぶし)に据えて、家次は山野を駆け、乗馬のときも常に安定した位置を保たせる。

  小谷城は滅び、天と地とそのあわいに棲(す)むものたちの興亡のなかで、時の権力者の顔が鷹匠の目を通して描かれる。「信長は鷹よりも隼(はやぶさ)に似ている」ととらえ「秀吉は鳶(とんび)みたいな男。悪食(あくじき)で死肉でも大根でもくらう」と言われれば妙に納得してしまう。

  それにしても鷹師たちの行動力のすばらしさ。空を飛ぶ鳥を追いかけてやぶをこぎ、山を登り、抜群の視力に鷹の餌となる小動物も捕獲する。鳩袋、口餌籠(くちえかご)はいつも満杯だ。

  やがて信長も歴史の波間に遠ざかり、今、老齢の秀吉が朝鮮出兵のため肥前名護屋に到着した。家鷹(家次改め)も一緒だ。

  その時、数千、数万の鷹たちが一斉に上昇気流に乗って旋回しつつ舞い上がった。「鷹柱」だ!家鷹は拳のからくつわを空中に放り上げた。好きな所へ飛んで行け-からくつわはそれきり戻ってこなかった…。息づまる一巻の掉尾(ちょうび)に、私は鷹羽狩行さんの一句を刻印のように記憶の底からすくいとった。
(八幡平市、歌人)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします