盛岡タイムス Web News 2011年 10月 12日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉23 田村剛一 不明者捜し3

 気になる人がもう1人いた。「ばしょ」の奥さんだ。この夫婦は昨年まで、盛岡にあるマンションの管理人を10年あまり勤め、やっとふるさとに帰ってきたばかりであった。

  「余生は2人でのんびり暮らしますよ」と言っていた夫婦である。そんな矢先の大震災。知人は、自分の妻が1人で海岸近くにある家に向かって、坂道を下りて行く姿を見ている。それが奥さんを見た最後。どうして「行くな」と声を掛けなかったのか。心の中で悔やんでいるに違いないと思う。

  今回、津波で犠牲になった人たちを大別すると、三つに分けられそうだ。一つは「大丈夫だ」と言って逃げなかった人。逃げ遅れも含む。もう一つは、わざわざ防潮堤や海岸近くに津波を見に行った人。最後の一つは、せっかく避難しながら再び家に戻った人。知人の奥さんも最後の一つに入れてよい。家に戻って助かったという人の話は、いまだに聞いていない。ほとんど死亡か行方不明になっている。

  ばしょの家は、元あった所にはなかった。国道向かい側に流され、しかも1階はぺしゃんこ。2階だけが残っていた。家の主は2階の窓から家に入り、妻の姿を探した。かれこれ5分ほど家の中にいただろうか。紙袋を下げて出てきた。

  「見えない」。力を落とした口ぶり。

  「妻の記念になるものを探し、持ってきた」。そう言うと、その袋を私に持たせようとした。でも、それは断った。その袋を他人が持ち歩くと、どっかの家に入って盗んできたと思われかねなかった。自衛隊や消防団の目が光っていた。

  この日を境に知人は、しばらくの間、この町から姿を消した。妻の行方不明に落胆し、町にいる気力を失ったようだ。人の話では、内陸に住む息子が迎えに来たともいう。その方がよいと思った。1人でいると、男は何をするか分からないからだ。

  行方不明者探しも、これで一段落と思った時、大事なことを忘れていたことに気付いた。私が探してやらなければならない人が1人いた。最初から私たちの仲間に入り、田村会の面倒を見てくれた人。今回も最後まで事務所に残ったうちの1人だった。

  この人は新潟県の出身。30年ほど前に、山田に来て住みつき、そこで子ども連れの女性と結婚。今は、その女性とも離婚し、やもめ生活。身元保証人は誰もいない。行方不明の届けを出してくれる人はいなかったのだ。
(山田町)


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