盛岡タイムス Web News 2011年 10月 12日 (水)

       

■ 〈奥尻島視察団が行く〉4 「先を見据えた復興こそ」

     
  海側から見た人工地盤「望海橋」  
 
海側から見た人工地盤「望海橋」
 
  青苗漁港には漁業関係者が、いち早く避難するための人工地盤「望海橋」(総工費26億円)がそびえている。幅約32b、長さ約164b、海面からの高さは7・7b。一本の柱から六本の梁が連続している「ヴォールト構造」と呼ばれる建造物で、かさ上げされた背後地と高架道路で結ばれている。地震がくれば、漁師は階段で地盤上部に逃れ、そのまま内陸部に避難できる。普段は、網を干すなど漁業の作業場として利用される。

  住民の意向で漁港付近の低地にも住居区域を残すことになった青苗地区。6bの地盤かさ上げで漁港そばに作られた市街地には、さらに高台へ避難するための避難路が数十bおきに設けられている。避難路は島内に42カ所。浸水した集落を守るために総延長14`にわたる防潮堤も築かれた。新築した青苗小学校は1階部分に空間部を設けて津波に強い構造にするなど防災への苦心の跡が見て取れる。

  北海道南西沖地震から18年が過ぎ、島民の防災意識も薄れつつあった。しかし、東日本大震災の惨状を目の当たりにし、日ごろの備えを再確認した人も少なくないようだ。

  「今年の防災の日の訓練には700人も参加した。これまで、意識は決して高いとはいえなかったのだが」と奥尻の復興を考える会の元会長明上雅孝さん(61)。「100年に1回の津波にも耐えるまちづくりはした。だから、みんな後悔していない。でも、千年に1回の津波が来てしまった。こんど高台移転か残るかを問われたら、アンケートを取る必要はない。間違いなく高台を選ぶと思う」と語る。

  長洞元気村の一行は新村卓実奥尻町長と面会した。新村町長は地震当時、町議会議員。心残りの一つは、住民のサービス向上や産業振興のために基金を残せなかったことという。
     
  望海橋は地上からの高さ6.2メートル、避難階段は5カ所に配置  
  望海橋は地上からの高さ6.2メートル、避難階段は5カ所に配置  

  「190億円の義援金の中から将来のために基金を積もうと提案した。最低でも30億以上。被災者が家を建て、生活の再建をしたとき、行政は生活の基盤を支えるためにどういう手伝いができるんだ、それなりの原資が必要だ、と主張したが残念ながらそこまでたどりつくことができなかった」。

  被災者のための手厚い支援事業は実現した。だが、頼みの義援金はすべて使い切ってしまい、将来の島の活性化に使う余財は残らなかった。復興事業のために多額の町債を発行した島の財政は硬直化し、借金返済にも苦しむことになった。

  当時、島の行政関係者が最も心配したのが人口流出だ。そのために、自宅や商店を再建する意欲のある被災者には特に手厚い支援策を講じた。「新しく家や店を建ててもらえれば、絶対にそこに住みますよね。全壊の家庭には1250万円ぐらい、商店や店舗も建設のための予算の47%を支援した。義援金でこうした支援策を作らなければ、3割から4割は奥尻から他の地域へ生活の場を移したと思う」と新村町長。

  「なぜ、産業面の衰退にもっと手を打たなかったのかと尋ねられることも多いが、人が住んではじめて地域は継続される。定住促進に重点を置いたことも間違ってはいなかった」と話す。

  現在、町では希望を持って漁業に取り組めるよう岩ガキなどウニ、アワビに並ぶ新たな特産品の開発調査や、島の自然や名所をテーマを持って歩いて楽しむ「フットパス」と名付けた観光などに力を入れているという。

  視察団の村上誠二さん(55)は「被災したわれわれも、きょう、あす、良ければいいのではなく、10年後、20年後を見据えた復興を検討したい」と語った。
(馬場恵、つづく)


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