盛岡タイムス Web News 2011年 10月 15日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉25 田村剛一 自主防災会

 日がたつにつれ、地区住民の犠牲者の数が増えていく。犠牲者の報を聞くたびに、胸が痛み、同時に自責の念に駆られた。自主防災会の会長として、十分に、その任を果たしえなかったからだ。

  昨年度、私の所属する愛宕地区自主防災会は、町から10万円近い助成を受け、古いプレハブを譲り受け、それを防災倉庫としてテントやリアカーを備えたばかりだった。ところがプレハブの防災倉庫をはじめ、全てが使わないまま津波で流されてしまったのだ。

  私は防災会の会長として、ことあるごとに「犠牲者を出さない安全な町にしよう」と地区住民に語り続けてきた。そのため会として高齢者の名前をピックアップし、津波警報が発令になったら、まず、その人たちを避難させ、時間があれば、地区を一巡し、全員に避難を促すことにしていた。

  地震直後、町中にある事務所から家に戻り、母親の安全を確認した後、会長任務についた。役員の何人かに声をかけ、高齢者を避難させるため、高齢者家族の所に向かった。

  まずはじめに、高齢者夫婦の家。すぐ避難するよう促したが、男性の方が避難になかなか応えず、ここで時間をくった。

  やっとのこと、高台に避難させた後、海岸近くに住む独居老人の所に向かった。この人は、後で分かったことだが、デイサービスに行っていて不在。そこで「津波だ」という声を聞き、近くの裏山に急いで避難した。

  いつもなら、津波警報が発令になっても「津波だ」という声を聞くことがなかったので、地区を一巡し、避難を呼びかけながら回ることができたのだが、今回は、そんな余裕がなかった。もし、回っていたら、私の命もなかったろう。

  自主防災会の役割が、地区住民を安全な場所に避難させることにあるとすれば、私は、その責任を果たさなかったことになる。行政区長の中には、人を助けようとして、自分は逃げ遅れ、夫婦共々犠牲になった人がいる。美徳ではあるが、行政区長がそこまで責任を負わなければならないのか。つらい話である。

  このように、人のために犠牲になった人たちのことを聞くたびに、つらい思いに駆られる。防災会の会長の自分は助かり、地区の人たちの悲報が続々入ってくる。そのたびに自責の念に襲われることしばしばである。

  それとはまた別に今回の大震災で、自主防災会のありようが問われそうな気もする。

(山田町)

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