盛岡タイムス Web News 2011年 10月 16日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉26 田村剛一 天災か人災か

 大震災から日が経つにつれ、ラジオでは、東京電力福島第1原子力発電所の事故を報じる時間が多くなってきた。当初は、心配するような事故ではないという報じ方であったが、次第に深刻な状況に進行しそうな気配が、報道の仕方からも分かるようになってきた。

  原発事故ということになると、これは、天災というよりも人災に近くなってくる。そんな思いが、私の頭の中でしてきた。

  わが国にとって、未曽有の大震災と言って間違いはない。それは、未曽有の巨大地震、未曽有の自然災害、つまりは未曽有の天災とも言える。しかし、こんなに多くの犠牲者や建物流失や崩壊をもたらしたのは、地震や津波が巨大であっただけではないような気がする。人の側にも、犠牲者や被害を多くする原因があるように思えてならない。

  その第1が間違った津波情報を流したことだ。

  町中の事務所から家に向かう途中「予想される波の高さは3b」という防災放送を耳にした。3bなら、防潮堤を越えることはない、そう思った人は多いはずだ。

  だから、防潮堤近くに住む人たちの中に、避難しないで、犠牲になった人たちが出たのだ。それだけではない。わざわざ防潮堤にのぼり、波にさらわれた人たちも少なくない。今でも「あの3b」がなければと思う。

  情報の間違いで犠牲者を多く出したものがもう一つある。それは、津波注意報や警報の乱発であった。ちょっとした地震があると、気象庁はすぐに、注意報や警報を発令した。

  しかも、その内容は「予想される波の高さは30a、ところによってはもっと高くなるところもあるので注意してください」。そんな程度のもの。

  こんな放送を聞くたびに「またか」と何度も思った。沿岸住民は、いつの間にか狼少年に育てられていたのだ。2日前にも、津波注意報が発令になり、この時も、津波らしい津波は発生しなかった。

  人災と言ってよいもののもう一つが、防潮堤への過信。防潮堤を越える津波が発生するはずがない、いつの間にか、そんな防潮堤への過信が生まれていた。それが、避難しないで、波にのまれる人をつくり出す原因となった。

  日が経つにつれ、犠牲者が多くなっていく。役場のホールは、行方不明者を探す人でいっぱい。今回の大震災は未曽有の自然災害(天災)であったことは間違いないが、人災の側面もあったことを忘れてはならない。

(山田町)

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