盛岡タイムス Web News 2011年 10月 19日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉29 田村剛一

 大震災で、携帯電話が通じないとは、全く信じられないことであった。万一の場合、家族と連絡を取るために、携帯電話を持たされている人は多いはず。私もその一人。「災害に強い携帯電話」そんな思いがしていた。それは全く逆で、携帯電話は災害に弱かったのだ。

  離れた肉親や友人、知人と連絡が取れず心配した人は多い。私もそうだ。連絡が取れず心配した息子が3人いる。

  長男は3月11日の朝、「宮古の海岸近くを歩いてくる」とそう言って家を出た。宮古のどこかは聞かなかったが、海岸近くならどこにいても津波に遭っているはず。夜になっても帰って来なかったので心配でならなかった。

  翌朝、知人に声をかけられた。「きのう、津波後に息子と会っているので心配ないよ」と言われほっとした。でも、顔を見るまでは安心できなかったが、それから1時間ほどして知人の車で送られて来た。「昨夜は商業高校に一泊した」と言っていた。宮古警察署の近くで津波に遭ったらしい。

  長男の無事は確認したが、三男のことも気になっていた。三男は高校の教員。2カ月ほど前に、県の実習船リアス丸で、生徒たちと一緒にハワイ沖へマグロ漁の実習で出かけていた。その帰港が3月中旬と聞いていた。津波に遭遇すれば、大変なことになると思ったからだ。

  通じれば、息子の妻に電話をかけ、安否の確認ができるのだが、電話が不通で、連絡の取りようがなかった。

  それから数日して、リアス丸が無事、静岡の焼津港に入港したという知らせが入り、ほっとした。息子を含め生徒たちは、新幹線も不通になっていたので、それから数日して、飛行機で帰校した。

  当初、心配してなかった二男の家族のことが、日が経つにつれ心配になってきた。息子は単身岐阜にいる。その家族は、福島の郡山にいて、4月に父親の所に移ることになっていた。その家族の住む福島で原発事故。

  震災直後は、心配するほどの事故ではないような報道であったが、日が経つにつれ、深刻さが増してきた。二男には中3を頭に3人の子がいる。はたして大丈夫か。子どもたちだけに放射能汚染が心配になる。

  考えてみると、わが家の息子3人は、3人3様の震災被害者と言ってよい。連絡が取れさえすれば、それほど心配する必要はないのかもしれないが、音信不通だけに、心労は募るばかりであった。
  (山田町)



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします