盛岡タイムス Web News 2011年 10月 21日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉31 田村剛一 たずね人

 日が経つにつれ、ラジオでは津波被害から原発事故に報道の中心が移って行くように思われた。たいしたことのない原発事故から、大変な事故に発展しているような気がした。

  そのうち登場したのが「たずね人」。終戦直後、「××さんの消息をお知りの方は…」といった「たずね人」の番組がしばらく続いた。声も言い方も、あの時とそっくりな感じがした。戦後と震災後は同じ大混乱の状況にあったのだ。

  「岩手県山田町の××さんの消息をお知りの方連絡ください」。知っている人の名前だ。その人に、たずね人に名前が出ていることを知らせたいのだが、その人がどこにいるかも分からない。連絡のしようもないからだ。

  宮古市の××さん、釜石市の××さん、大槌町の××さん、…。いろいろな人たちの名前が出てくるにつれ、私の名前が出てこないのに気づいた。

  「俺の名前が出てこないな」と言うと、家族の者たちは「だれも心配していないんだから」とすまし顔だ。そう言われると逆にさみしくなってくる。毎年、一度集まっている大学時代の友人もいる。山に毎年登っている教え子たちもいる。金沢の教え子たちもそう。それに、妹たちも息子たちもいる。それなのに、私の名前が出てこないとは、家族が言うように誰も心配していないからなのだろうか。

  一日いっぱいラジオの前にかじりついているわけではないので、聞き逃しているかもしれない。それにしても、心配してくれる人が一人もいないと思うと実にさみしくなる。

  そんな思いをしている時、「先生、ラジオで先生の名前を聞きましたよ」と言う人が現われた。私の町では「先生」と声をかける人と「田村さん」と呼ぶ人は半々。先生は、教え子かその親が多い。この言葉を聞いてほっとした。やはり心配してくれている人がいたのだ。でも、それが誰なのか、直接、ラジオを聞いたわけでないので分からない。

  「岩手の田村剛一さんは無事です」。今度はラジオで突然自分の名前を聞きびっくり。盛岡の知人だが「田村さんは無事ですか」というそんな放送を聞きそれに応えてくれたのだろう。その知人にお礼を言おうと思っても連絡のしようがなかった。

  それから数日して「読売新聞に田村さんの安否を心配する投書がありましたよ」と言われた。投書の主は東京に住む高校の同級生の一人であった。心配してくれていた人は1人や2人ではなかった。
(山田町)


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