盛岡タイムス Web News 2011年 10月 26日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉35 田村剛一 自衛隊の活動1

 震災の翌日早々から車の通る音が激しくなった。窓を開けると、目の前の狭い道路を、役場方向に走る自衛隊の車の列である。救援活動にやって来たのだ。

  震災の夜、車の音で寝つかれなかったのは、火災を免れ、避難所になっていたコミセンや公民館から、豊間根地区に避難者を移送する車だけでなく、この自衛隊の車も通っていたからである。沿岸道は津波で全て不通になり、おいの家の前の道が、唯一、他所から町役場に通ずる道になっていたからだ。

  自衛隊は、その日から、避難所に食料や水、毛布など生活必要品を届けた。在宅避難者に対しては、給水車を派遣。水道は完全にストップしていたので、この給水車で助かった。被災地住民のいのちと健康を守ってくれたと言っても過言でない。

  自衛隊の活動はそれだけではない。がれき撤去や行方不明者の捜索にすぐ着手。被災家屋の中をのぞいたり、がれきの上を手さぐりしながら人を探す自衛隊員の姿があった。

  私の家の前は、流れついた家屋とがれきの山でふさがれ、全く通れない状態。それでも隊員は、崩れそうな家の中をのぞき込む。「危ないですよ」と声をかけると「一刻を争うのですから」と言って奥に進む。人命救出は、1日、いや一刻が勝負の分かれ目。自衛隊員の言葉で、そのことを実感した。かといって、素人の私たちが、がれきの山の中を歩くわけにはいかなかった。このがれきの山の向こう側で、私の同級生の遺体が見つかった。家は国道のわきにあったが、津波に流され、私の事務所にぶつかって止まった。もちろん、両方の建物ともめちゃめちゃ。その家の脇で見つかった。

  自衛隊の重機ががれき撤去も行っていた。そのがれき撤去が進まない。「もっと急いでほしい」と頼んだ。そうでないと、家の前の道路が、なかなか通れないからだ。でも、それは無理であることが分かった。自衛隊の行っているがれきの撤去作業は、あくまでも、人命救出優先のがれき撤去。人を傷つけないよう慎重に慎重にがれきを片付けながら、行方不明者を探していたからである。

  その後、自衛隊は、医療班の派遣、風呂の設置、さまざまな支援活動を行った。おかげさまで私は、若い女医から痛む奥歯を抜歯してもらうことができた。町に5軒あった歯科医院は全て流されてしまっていた。

  今回の震災での自衛隊。これほど自衛隊を身近に感じたことはない。自衛隊様々で、感謝の言葉もないほどである。

(山田町)

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