盛岡タイムス Web News 2011年 10月 30日 (日)

       

■ 童話「楢ノ木大学士の野宿」その舞台は 柳沢忠昭さんが「案内」

 宮沢賢治の童話「楢ノ木大学士の野宿」は、宝石学の専門家、楢ノ木大学士が上質のオパールを奥羽山中に探す物語。葛丸川をさかのぼって山の中に分け入った大学士は3日目、海岸に出る。そこで白亜紀の恐竜に出くわす。その舞台はどこなのか。日本洞穴学研究所理事で、盛岡一高教諭の柳沢忠昭さん(59)は、三陸海岸北部に分布する中生代白亜紀の地層「宮古層群」がモデルになったと推論する。その層群からは後年、日本最初の恐竜化石として有名なモシリュウの化石が見つかっている。賢治はその半世紀も前に、ここから恐竜化石が見つかることを作品中で予言したのかも。柳沢さんの夢のある賢治童話紀行を紹介する。

 柳沢さんは言う。「どうも第3夜の舞台は三陸海岸らしい。しかも作品にはいろいろな岩石が登場するが、(表現が)非常に生々しい。実際に見て書いたものだという感じがする」。モデルにした場所が三陸海岸のどこかにあって、賢治は実際に訪れているのではないか。そう推理した。

  ■賢治の三陸海岸行

  賢治は三陸海岸を4回訪れている。最初は盛岡中学の修学旅行で松島方面。2度目は1917年、盛岡高等農林3年の21歳。花巻町の実業家たちによる東海岸視察団の一員として、開通したばかりの岩手軽便鉄道に乗った。遠野からは徒歩で仙人峠を越え、田中鉱山鉄道で釜石へ。一泊した翌日、船で大槌、山田、宮古へと向かった。

  「一行のどんちゃん騒ぎにへきえきした賢治は、宮古で一行と別れて独自行動を取った。翌日は盛岡中学時代の下級生の実家である旅館に泊まって、徒歩で川井を越えて、どこかで1泊した後帰っている」と柳沢さんは解説する。

  3回目は1925年、稗貫農学校教諭時代の29歳。真冬の1月5日、夜行列車で八戸から種市へ回り、そこから乗合自動車と徒歩で下安家(野田村)まで南下した。4回目は30歳の時、家族旅行で八戸を訪れている。

  ■3回目の海岸行の謎

  柳沢さんが注目するのは、3回目の海岸行だ。1月6日に下安家に宿泊したあと翌7日夜に宮古で船を乗り継いで釜石に向かったことは分かっているが、下安家から宮古までの行程に諸説ある。「そもそも旅の目的がよく分かっていない。農学校の教諭をやめようかと悩んでいた時。その決断をするためであったという人も多い」

  賢治が生まれた年、明治三陸大津波があった。その復興に東京の海運会社が岩手に入ってきた。それに対抗して県は地元の海運会社を支援する。「それによって港を結ぶ海運路線の整備がちょうど終わったのがこの時代」という。陸上交通より海上交通が主流だった。柳沢さんは「まきや海産物を運ぶ個人業者もたくさんいたという。宮古へ行こうとすればどこの港からでも可能だった」

  下安家の宿を出たあと、賢治はどう歩いたのか。そしてどこから乗ったのか。堀内、普代の太田名部、ネダリ浜、羅賀と研究者によって異なるが、決め手はない。

  ■泊まった洞窟とは

  「賢治は作品の中では洞窟の中に泊まったことになっている。その洞窟とは何なのか」

  そこが解明への糸口となった。作品中に登場する頁岩(けつがん)。このルートで頁岩が見られるのは太田名部より南側の地域。そしてこの周辺にはたくさんの海食洞がある。「作品イメージにぴったり。たぶん、実際に行って見ているだろう」と柳沢さん。

  ここで、賢治の行程に着目する。6日は種市(34`)久慈(15`)野田(8`)下安家と合計57`を移動している。2日目の7日の行程距離を見ると、下安家から堀内まで2`、太田名部まで8`、ネダリ浜まで1`、羅賀まで10`。合計しても賢治の脚なららくらくこなしてしまう距離にしかならない。

  「2日目は行程が短いんです。逆に言えば、なぜ1日目にそれだけ急いだのか。つまり、何かを見るために、あるいは見たいものを探すための時間が欲しかったのではないか」

  ■宮古層群

  この時代、岩手県では地質学的に重要な出来事が起きていた。1899(明治32)年、宮古層群という地層が八重樫七兵衛によって発見された。アンモナイトやオウムガイなど数多くの化石を含んだ地層だった。「高等農林の3年生だった賢治は、このことを知っていたはず」と柳沢さん。

  実は2回目の三陸海岸行の際、賢治ら一行は水産講習所の船で浄土ケ浜まで行っている。その水産講習所に当の八重樫七兵衛が先生としていた。「賢治が会っているか分からないが、宮古層群とのつながりがそこであったかもしれない。記録はないんだけれども」

  ここから賢治は一行と別れて盛岡中学の自彊寮で2年後輩の実家である岡田旅館に泊まる。そこで後輩に案内してもらって浄土ケ浜に行っている。その浄土ケ浜のすぐ裏手に宮古層群が出ている。

  ■モシリュウ発見

  宮古層群は日本を代表する化石地で、世界の白亜紀化石の基準になる模式地の一つ。とりわけ田老以北の地帯には多くの化石が含まれている。1978年に見つかったモシリュウもこの宮古地層群の中から見つかった。

  これを見るためには、賢治はどこまで南下しなければならなかったか。「羅賀なんです」と柳沢さん。「この行程からいけば距離的にも無理はない。ただし実際に行ったかどうかは分からない、ということですね」

  「モシリュウが後年見つかることを賢治は知るはずもない。ただ白亜紀という連想から作品に恐竜を登場させたのだろう」

  賢治が羅賀周辺を訪れた2年前の1923年、この地層は、宮古統として重要な地質基準に位置づけられている。「賢治とすれば、見たいと思ったんじゃないですか。確定はないです。宮古層群の動きと賢治の動きが一致している。そういうことですね」

   ◇  ◇

  童話の主人公楢ノ木大学士は第3夜、こうつぶやく。「さあ、見附けたぞ。この足跡の尽きた所には、きっとこいつが倒れたまゝ化石している。巨(おほ)きな骨だぞ。まづ背骨なら二十米はあるだらう」。だが、その先に見たのはなんと、化石ではなく生きた恐竜だった。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします