盛岡タイムス Web News 2011年 11月 3日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉40 田村剛一 わが家の復旧作業3


  わが家の助っ人第1号は久慈に住む三男であった。息子は1月に生徒たちを連れ県の水産実習船リアス丸でハワイに出かけていた。

  ハワイ沖から帰ったのが、津波直後。3月11日は銚子沖を航行していたが、海の異常は全く感じられなかったという。焼津に入港したものの、津波の影響で足止めを食い、久慈に帰ったのが22日。24日にやっと顔を見せた。家族を心配し、様子を見に来たのだ。

  これ幸いと、すぐに、後片付けの手伝いをさせた。まず、一番重くて大変な畳を外に出してもらった。一人でできない重いものは、わたしと2人がかりで運んだ。この畳の重いこと。若い時には非力ではなかったのに、年と共に体力が落ちているのだろう。とにかく、この息子のおかげで、畳を外に出すことができた。

  重いものがもう一つあった。母の古いタンス。水を含んだためいっそう重くなった。その上、引き出しが開かない。このタンスには母の古着しか入っていない。94歳になる母はおいの所。母にしてみれば孫の所にいる。その母も少々ぼけ気味になってきたので、母に相談せず、このタンスも捨てることにした。それに、タンスを置く場所もなくなっていたからだ。この一日で、重いものはほとんど片付いた。後は、畳の下の床をきれいにするだけ。

  助っ人第2号は、三男の孫たち3人。助っ人といっても、上が小6。あまり期待できはしなかったが…。この孫たち、4月2日に米と石油ストーブを持って来てくれた。この石油ストーブが助かった。震災後、いっこうに寒さは衰えなかった。後片付けをしていても、手がかじかんでくる。それに、湯わかしもできなかったので、このストーブのおかげで、後片付けをしながら、温かいお茶が飲めるようになった。

  孫たちが来た時には、向かいの事務所を数日中に壊すことになっていた。事務所といっても立派な一軒家。2階には和室が2間あり、畳が敷いてある。その畳はまだ使える。床をきれいにした後で、母屋の和室に仮敷きしようとなった。そこで、半分壊れかかっている向かいの事務所から畳を運ぶことにした。

  「ボクも手伝う」と小6の孫。畳を運ぶのは無理だろうと思ったが、さすが男の子。私と2人で、この畳を運んだ。わたしが手を休めると「ジージー頑張って」。孫にこんな言葉をかけられたのは初めて。

  子どもたちは少しずつ成長していく。それにひきかえ大人は老いていく一方だ。この震災で確実に、わが家の世代も交代することを実感した。

(山田町)


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