盛岡タイムス Web News 2011年 11月 6日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉43 田村剛一 知人はいずこに

 知人を新潟に送って数日後のこと。

  震災当時、最後まで川向かいの事務所にいたもう一人の知人の奥さんにばったり会った。

  「お父さんは、家の近くまで来たようですよ」と言う。

  「どなたに聞きましたか」と聞き返すと、「近くの店の方が見たそうです」。見た当人の話だから間違いないようだ。

  実はこの知人の家は、新潟に送った知人の遺体が見つかった長崎踏切の近くにあった。

  もし、この情報に間違いがなければ、知人2人は車で事務所をたち、先発した女性事務員に「南へ行け」と言った通り、南小学校に向かったと思われる。家の前で1人は降り、1人は車で南小学校へ向かおうとした。そこに津波が襲い、2人とも別々に流されてしまった。

  「でも、なぜ、家の前で降りたのでしょうか」。奥さんに尋ねた。

  「津波の時、私と娘は家にいました。娘の車が家の前に停めてあったので、それを見て娘は家の中にいると思い、降りたのでは」。奥さんの推測である。

  「お父さんに気がつきませんでしたか」「そんな状態ではなかったんです」。

  津波に気ついた時には、水が家に侵入。急いで2階に向かって窓を開けた。逃げようとしたが逃げるどころではない。水かさがどんどん増した。

  そこに人が流れてきて「助けて〓」と呼ぶ。母娘は必死でその人の手をつかみ窓から引き上げた。

  もし、知人が家の前まで来ていたとすれば、夫・父親の流されるのを知らずに、人を助けたことになる。これが、人の運命ということなのだろうか。

  知人の家は、床上浸水で辛うじて残った。しかし、その夜の火事で完全に焼け落ちた。

  「家の近くにいた」という情報を得てから家のあった長崎地区を、くまなく探して歩いた。

  「どんな姿でもいいので、見つけてやりたい」。それが家族の思いだった。

  私も、何度か役場ロビーの行方不明者の情報綴(つづ)りを見に行き、知人らしい人の情報がないか調べた。山田中学校と豊間根の遺体安置所も行って調べてみたが、知人らしい人の情報はなかった。

  事務所にいた2人を、こういう形で失うとは。残念であり、家族の方々にも申し訳ない思いだ。

  ただ救われるのは一つ、仲のよかった知人2人が、最後まで一緒に行動を共にしたことである。

  (山田町)


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