盛岡タイムス Web News 2011年 11月 7日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉44 佐藤公二の競輪選手30年

 「一流の選手にはなれなかったから、自分なりのレース展開をし、納得してきたのです」。
  チョット寂しそうに、そう言ってビールを飲み「やめたんですよ!」とニコッと笑った佐藤公二さん(50)は、2010年8月まで、約30年間、競輪選手として全国各地のレースに参加し、走り続けてきた達人、鉄人、でした。

  自転車のファンだった叔父に勧められ、大東町(現・一関市)から盛岡に来て競輪選手になった、光一兄さんにあこがれて、自分もやってみようと、大東高校を卒業してすぐ、兄の先生だった加藤善行氏に師事。ゼロから学び3年後の21歳、前橋で行われた3日間のレースに初トライ。初日のレースではいきなり転んでしまったが、2日目には1着でのデビュー戦。

  以来これまで2000bのコースを2191レース、丸28年間選手として走り続けた。その間には、鎖骨、肋骨、肩甲骨、腓骨などなど10回も骨折。その恐さも忘れ、やめずに走れたのは「ジャズを聴くのが好きだったから」と笑う。

  「レースの時考えるのは皆同じ。他の選手の心裏を読む。世の中の情勢を読むのと一緒。レース用の頭を使うことで生きてきた。大半の太く短くではなく、細く長く。プライドはないが、若者にも負けない意地と頭の使い方」。

  「一流の選手だって、いつかは落ちてくるもの、その時に勝てる。勝つまで走る。一流は三流の苦労を味わいたくないからやめるんだけど、僕みたいな三流は、みじめな中で頑張ってきた。選手になれない人すらいる中で、三流でもなれたのだから」と謙遜する彼。

  日本競輪選手会、他県では50〜200名位だそうだが岩手地区は20数名。今その花形は佐藤友和選手(28)(88期)。ちなみに佐藤公二さんは(50期)だったから、数字からもその努力の想像はつくが、現役時代3位までの勝率1割はすごい。

  昨今はテレビなどで、ブレーキの無いプロ用自転車が一般道を走って事故を起こすことが報じられるほどの自転車がブーム。「プロでさえ止まるまで何bも必要なのに一般の人が一般道で乗るのは問題!」と彼は自転車を下りて第2の人生を歩き出した。
(開運橋のジョニー店主)


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