盛岡タイムス Web News 2011年 11月 11日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉50 八重嶋勲 雉子逃したらん程に落胆致し候

 ■後藤清造

  79 巻紙 明治35年5月10日付
宛 東京本郷区台町三六、東北舘内 野村長一様
発 仙台鹿ノ子清水通二四 岩手会自炊部 後藤清造拝
 
昨日つづち(じ)が岡へゆきましたが、葉桜も面白からず、見たい所はないので、小生はたヾ家にねころび居り候、この次ぎの日曜にハ四人と松島へゆく計画有之候。

小生本月二日盛岡なる招魂社のお祭り見に参り、翌日帰らうと思へしも四日は例の雄弁会あるとの事に長どまりして四日の午後帰宅したるが、其翌五日朝早く兄よりみ端書接手嬉しく存ぜられ候。四月十七日兄が御上京との事承はり御分れにとその朝兄処に訪ねんとし赤石の船塲にて渡守にきけバ兄にはこの朝盛岡へ行けりと、折角当てにせる雉子逃がしたらん程に落胆致し候、其後廿日あまりに出盛せる時浩ぬしより兄のお宿はきヽ申したれど直ぐ他へ移るべしとの趣故移りてん後へやるも便なしと断念仕り候。其後小生は早稲田へゆかんものと致し候へ共、何分家では許さぬので高等学校と決め候。それ故四月中は早稲田へ行かうといふので遂遊びくらし、去る七日家に居たとて遊んで許り居るとの故にて當地へ参り候へど、やはり遊びたく試験までの日数を数へて遊び居り候。

七日午後當地着、早速岩手会なる田子兄へ端書たてたるに兄は直ぐ御出で被下、皆とも話したが存じ寄りの方々故入部を迎ふとの事に八日の午前より當岩手会自炊部へ入り、今日ハまた土曜日の事故小生の為に歓迎会を催ふされ候。

當部は鹿ノ子清水通りとて市街とは程遠く、いかにも静かに有之候、家は面白きたて方にて図の如くに候。(図省略)

小生の室は尤も端の所とて、障子の硝子越しに川も見られ、山も仰がれ候。同人九人各室に割據致し居り候。

閑静とはこの郷なり、強いて音あるを求めば川の音、竹の音、時に鴬などの声聞え候。

皆運動好きの方々にて小生も鉄アレーなどもつ様に相成り候、明日は器械体操を構らゆるつもりにて鉄棒は立派なもの本日出来て参り候。

また明日は畑へ何かまくとて農事主任松岡君は考案中に候。

昨日道交會に参り候、十四、五人とまりて居り候。

来る十五日道交会の発起にて於仙台座釈迦誕生会を催ふす候筈、様子は其節申上可く候。

當地は仏教に熱心忠実なるものなく、僅々道校会の諸子のみなりとてある人は嘆かれ候。

一昨夜ハ時卅八分といふに大きな音の雷が致し候、多分近くに落ちたるべしと皆で噺り致し候。俗にいふ雷氣のせいか昨日も今日も晴天、拭ふた様なるにバラバラと音して雨のふるなどいかにも面白からず候。

平賀兄御同宿との事毎日おもしろかるべくと存じ候。

お手紙得たく候。

なほ目下波岡君(これハ外にとまり候)己は自炊部の友に新体詩を作らるヽ計画との事、学稿を見しにあまり感服も出来ぬ、何れ成効(功)近頃歌ふべく候得バ其際御目にかくべく候。先づは右まで、草々拝。

平賀兄へもよろしく願上候。
                清造拝。
   野村兄其下
 
  【解説】この手紙で、長一が、盛岡中学校卒業後、上級学校を目指して東京に出発したのが、明治35年4月17日であったことが、はっきり分かる。また、後藤清造は早稲田に進みたかったが、家で許さず高等学校を目指すことになり、仙台に出たようである。田子一民は1年上で仙台の第二高等学校在学中。後に東京帝大に進み、官僚、政治家へ進んだ。後藤清造は、後に日本電力黒部鉄道取締役となっている。仙台の岩手会自炊部に入り、歓迎会をやってもらったという。先輩後輩の温かい雰囲気が漂う。この自炊部の友の新体詩は感服しないというのも面白い。


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