盛岡タイムス Web News 2011年 11月 12日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉236 岡澤敏男 転生する柳沢の男

 ■転生する柳沢の男

  大正6年10月の末頃、高等農林3年生だった賢治が柳沢の夜宿で仕切越しに対話する来訪者になぜか新鮮な興味を覚えたものらしい。同行した弟清六は就寝してその気配を知らなかったが、賢治は隣室の帝室林野局の客と手作り葡萄酒をすすめる男との対話の一部始終を盗み聞きしながら、この男を主人公とするドラマの糸口をつかんだのです。

  賢治の手帳にはこの男が首に欝金のマフラーを巻き黄色の筋の入った一等卒の上着を着た「旭川(第七師団)の兵隊(騎兵)上り」とメモし、素姓は柳沢、大石渡地区のわずかな耕地の小農夫で、滝沢御料地の雑用や放牧馬の監視、山主の間伐・搬出などを手伝って手間賃を稼ぐという虚構をメモランダムしたのです。

  短篇「柳沢」にこの男が初出したときに不明だった名はやがて大正13年の詩篇〔うとうとするとひやりとくる〕には「寅松」と名付けることになるが、大正10年の童話「かしはばやしの夜」には「清作」、同11年〜12年頃の童話「葡萄水」では「耕平」の名前で登場させている。

  清作は葡萄酒の密造や山主藤助に2升のお酒をやって柏の木を98本伐採して臨時収入を得ているし、耕平はおかみさんと二人で葡萄酒の密造に精を出す農民として描かれている。

  葡萄採りに出かける時に清作は「一等卒の服」を着るし、耕平は「黄いろなすぢの入った兵隊服」を着て出かけることなど共通するが、耕平の葡萄酒造りのノウハウはじつに活きいきと描写し童話の内容を深くしていることがわかる。

  ところが短篇「柳沢」の対話を改作したとみられる〔うとうとするとひやりとくる〕になると、「寅松」は妻帯?しながら柳沢の宿の美人の養女にモーションをかけ、放牧馬を自分の畑に追い込み馬主から弁償をとる小悪党として描かれ、もはや清作や耕平などのように密造葡萄酒づくりで失敗するユーモラスな主人公ではなく、怪しげな世界へ転生して行く寅松を予感させるのです。そうした寅松のゴシップを帝室林野局の役人がつぎのよう対話しています。

  (寅松はどうも何ですよ/ひとみ黄いろのくはしめなんて/ぼくらが毎日言ったので/刺激を受けたらしいんです)(そいつはちょっとどうだらう)(もっともゲルベアウゲの方も/いっぺん身売りにきまったとこを/やっとああしてゐるさうですが)(あんまり馬が廉いもなあ)(ばあさんもゆふべきのこを焼いて/ぼくにいろいろ口説いたですよ/何ぼ何食って育ったからって/あんまりむごい話だなんて)(でも寅松へ嫁るんだらう)(さあ寅松へどうですか/野馬をわざと畑へ入れて/放牧主へ文句をつけたことなどを/ばあさん言ってゐましたからね)(それでは嫁る気もないんだな)

  このなかで農家が「馬が廉く、娘が身売りする」とか「寅松が畑に放牧馬を追い込み馬主より弁償詐取」する貧窮する農村の姿がみえる。大正9年に始まる戦後恐慌(第一次世界大戦)も同10年には深刻化し演歌「枯れすすき」(船頭小唄)が日本中にひろがった。また同11年12月には江連力一郎らの海賊船大輝丸が樺太海域でロシア帆船を襲撃し虐殺する事件が発生したが背景に尼港事件への報復があり、この事件をパロディー化し賢治は童話「氷河鼠の毛皮」を執筆するなど、もはや清作、耕平のように密造酒での小遣稼ぎでは収まらぬ時代をとらえ転生したのが寅松とみられます。


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