盛岡タイムス Web News 2011年 11月 16日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉255 伊藤幸子 「千両役者」

 木枯しの中に楽日の役者かな
              松本幸四郎

  10月10日、千両役者中村芝翫(しかん)さんが83歳で亡くなられた。歌舞伎女形の筆頭で人間国宝。11月4日にはフジ系テレビで「勘三郎涙の復帰」を見て、数々の名場面に斯界(しかい)の名峰としてそびえた偉業を思った。いうまでもなく芝翫の長男は中村福助、次男が橋之助。次女の婿殿が中村勘三郎であり、万朶隆盛として知られる。

  この芝翫ファミリーが一堂に会した演目を観たのは平成15年の師走芝居だった。「歌舞伎四百年」と銘打って各家勢揃いのそれはみごとな舞台で仮名手本忠臣蔵「道行旅路の嫁入」。

  折しも富士の遠見に杉並木の街道。花道から「母の心もいそいそと」母戸無瀬(となせ)を芝翫、娘小浪(こなみ)が福助。小浪は、大星由良之助の息子力弥の許嫁(いいなずけ)だったが、大星が刃傷に及んで破談になった。母親は娘の思いを叶えさせようと、大星親子の居る京都に旅立ったのである。

  そこに奴(やっこ)の可内(べくない・橋之助)が通りかかり、滑稽な踊りを見せ、母娘もすっかり魅せられて笑みをこぼすという場面。福助の初々しい娘ぶり、芝翫の老女の身のこなしに世話やきぶり。橋之助の次々にくりだす踊りに大喝采。

  この日は夜の部が「狐狸(こり)狐狸ばなし」。当時の勘九郎が夫伊之助を、福助が妻おきわを演じて舞台せましと飛び回るご両人のサービス精神に涙が出るほど笑った。どんでん返しの妙味もたっぷり味わった。

  平成17年4月には「十八代中村勘三郎襲名」披露公演だった。このときの「京鹿子娘道成寺」は今思い出しても動悸を覚える。口上は芝翫が仕切り、めでたく格調高いものだった。

  その勘三郎が病んだ。あまりにも忙しすぎて、体が悲鳴をあげたのだろう。去年から耳鳴りめまい等の難病といわれ8ヶ月間療養される。その間大震もあり、長男勘太郎に孫も生まれた。そして7月、松本市にて復帰公演。8月は大阪歌舞伎座で「お祭り」を踊る。さらに10月は勘太郎の「勘九郎襲名」前祝パーティーもあった。

  復帰公演のテレビでは、一門最古参の中村小山三(こさんざ)が90歳で舞台をつとめ、若い人達を指導されていた。生前の芝翫さんと話すときの、ビデオのえもいわれぬふんいきがすばらしい。舞台上のみでなくお二人をとりまくすべての時間が「芸術」の域と感じさせてくれた。

  「さよなら歌舞伎座」公演から1年半すぎた。「3年後、新装なった歌舞伎座で!」と再会を期し、あんなにお元気だった芝翫さんの天国への花道を思うと切なく残念でたまらない。
(八幡平市、歌人)



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