盛岡タイムス Web News 2011年 11月 21日 (月)

       

■ 〈大震災私記〉54 田村剛一 支援物資3

 支援物資の第3号は、北海道北広島市に住む大学時代の友人。無料電話で無事を伝えた一人。

  「何か欲しいものがあったら、遠慮しないで言ってくれ」

  電話をかけると、みんなからそう言われた。欲しいものは山とあるが、なかなかあれが欲しいとも言えない。この友人には「単1の電池」を頼んだ。電池がなかなか手に入らなかったからだ。電気の回復の見通しが立たず、電池がないと家に戻ることができないからだ。

  「わかった。探してすぐ送る」

  数日して支援物資が届いた。缶詰、インスタント食品、リンゴ、原稿用紙、切手、便せん、そして電池…。でも、欲しかった単1の電池は入っていなかった。そして、手紙。「単1と単2の電池は当方でも品切れで手に入りません…」代わりにマンガン電池とそれ用の小さな懐中電灯が出てきた。被災地に送るため単1の電池は、全国的に不足していたのだ。

  私の無事を知ると友人や教え子たちから支援物資やお見舞いが送られてきた。その中に、私にやる気を起こさせようとする心配りが感じられる品が入っていた。新潟と東京に住む高校時代の同期生から、北海道の友人と同じように支援物資に混じって、原稿用紙、便せん、切手、はがきが送られてきた。私の趣味が、ものを書くことと知っての上なのだろう。

  同時に「無事の便りをくれ」という催促だったかもしれないが、しばらくは、そうした友人たちの期待には応えられなかった。手紙を書く場所も時間もなければ、ペンを持つ気持ちさえなかった。というより、ペンを持つ気力が失われていたと言っても過言でない。

  友人たちから送られてきたペンや原稿用紙、便せんを手にしたのは、後片付けが一段落し、ものを書く環境が整ってからである。

  最初に書いたのが、金沢の北国新聞への投稿文。金沢時代の友人や教え子たちから、たくさんの支援物資やお見舞いが届いていた。本来なら一人ひとりに礼状を書くべきなのだが、まだそんな環境になかった。それで声欄に投稿すれば、金沢周辺に住んでいる人たちに、私の気持ちが伝わると思ったからだ。

  私の思いをくんでか、私の投稿文を新聞社は採用してくれた。「震災で感じた持つべきは友」と題し掲載された。

  「やっと元気になったか」。金沢の友人からそんな電話をもらった。この文章をきっかけに、支援いただいた友人、知人、教え子たちに手紙やはがきを書き始めた。
(山田町)


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