盛岡タイムス Web News 2012年 1月 4日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉262 伊藤幸子 「初春の雪」

 初春の初子(はつね)の今日の玉箒(たまばはき)手にとるからにゆらぐ玉の緒
                                                 大伴家持
 
  「天平宝字二年(758年)正月三日、孝謙天皇、王臣等を召して玉箒を賜い、豊の明かりをきこしめす」その時、右中弁大伴家持の作った歌。正月の初めの子(ね)の日、宮中では新年の宴会を催す習わしだった。「玉ぼうき」は古く正月初子の日に蚕室を掃くための儀礼用のほうきで、飾りに玉がついているもの。天皇御みずから玉箒を以て蚕卵紙を掃かれ、また鋤鍬(すきくわ)を以て農耕の所作をなされた。そうして豊作を祈願され邪気を払われてのち、歌を召された家持の会心の作とされている。「ゆらぐ玉の緒」は玉箒の玉を貫(ぬ)いた緒がゆらいで鳴りひびくという視覚聴覚清らにめでたく整っている。

  さて、天平奈良のいにしえから、正月に降る雪は吉祥慶事とよろこばれた。萬葉集巻17には葛井諸会の作として「新(あらた)しき年のはじめに豊の年しるすとならし雪の降れるは」他、雪の新年の歌が多く見られる。時は天平18年(746年)「白雪さはに降りて、土に積むこと数寸なり」と萬葉集に記されている。温暖な奈良地方では正月に10a以上も積もったら大さわぎであったろう。そこで左大臣橘諸兄は大勢の役人をひきつれて、元正天皇の御在所に雪見舞に参上する。

  天皇大層喜ばれ、雪見の宴をひらかれた。そしてこの雪を題として歌を詠むようご下命があった。さっそく葛井が件(くだん)の歌を「新しい年のはじめに、豊年のしるしであろう、こんなに雪の降るのは」と、声調よく歌いあげた。(萬葉時代の読みはあらたし)この時、家持も「大宮の内にも外(と)にも光るまで降れる白雪見れど飽かぬかも」と詠んだ。「大宮の内も外も雪明かりがしてこんなにきれいに降る雪は見ても見てもあきないなあ」と如何にも正月らしく、天象を愛で、天皇の徳を称(たた)え、居並ぶ百官の健勝をことほいだ。

  しかしいつも思うのは、こんなふうに諸行事毎にその場で題詠を拝命し、臨場感ある歌を余裕で作りあげ、朗々と披露に及ぶ才智。うたげは一層盛り上がり、日頃の感性学識が輝いてやんやの喝采を得られたことだろう。

  萬葉集4516番最後の歌は家持の「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」である。「新年のはじめの今日、めでたく降る雪のように、いよいよ吉事の重なりますように」因幡国守(鳥取県)となって初めて迎える正月の景。3尺の積雪にも嘆かず、歌は言霊(ことだま)とひたすら吉事を祈る歌人の姿である。
(八幡平市、歌人)


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