盛岡タイムス Web News 2012年 1月 6日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉85 田村剛一 ボランティア1

 悲惨な状況がテレビで放送されるのを見て、被災地の手助けがしたい、そう思った人たちは少なくなかった。

  電話が通じるようになると「ボランティアに行きたいがどうしたらよいか」「ボランティアに行くので、宿泊地を紹介してくれ」そんな人まで現れた。

  さっそく、役場に行って担当者に聞くと、町外のボランティアはまだ受け入れないという回答であった。

  町民対象のボランティア募集は、震災直後から行われていた。保健センター前にテントを張り、そこで受け付けていた。支援物資の搬入搬出に人出が必要であったし、また、支援物資を町民に配る人、支援物資を仕分ける人が大勢必要であったからだ。私の息子も、物資の搬出入を手伝うボランティア活動に参加した。

  「人出が大勢必要なのに、なぜ町外のボランティアを入れないのか」と聞き返した。「この状況で、見ず知らずの人が町に入ってきて、勝手に振る舞われても困ります」。担当者のこの言葉を聞いて納得した。

  「そのうち、ボランティアセンターを開設し、ボランティアを受け入れますから…」。このボランティアセンターが船越の海洋センターに開設されたのは4月9日。それ以後、町のあちこちで、土砂の撤去、家具の移動、避難所の手伝い…に従事するボランティアの姿を見るようになった。

  私の家の近くで、初めてボランティアの人たちの姿を見たのは、一軒置いた隣の親戚の家で測溝の泥上げと、前庭の土砂を撤去している人たちであった。たしか、4月14日と記憶している。静岡からやって来た若いボランティアであった。

  その姿を見て、裏隣りの家でもボランティアを頼んだ。ボランティアを頼む人たちは、半壊家屋で、復旧して家に戻ろうとする人たちが多かった。

  重機による解体作業やがれき撤去は終わったとはいえ、それは、大型のがれきを撤去したというだけで、人の手で撤去しなければならないがれきやガラス・鉄くずを含んだ表土はそのまま残されていたからだ。

  静岡県からやって来たというボランティアの一団は、手際良かった。土をスコップで掘り起こし土のう袋に詰める。リーダー格の中年の男性に「ご苦労さんですね」と声を掛けると「私たちにとっては予行演習みたいなものですよ」という言葉が返ってきた。東海地震を心配してのことだろう。それだけ腰がすわっていたのだ。
(山田町)

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