盛岡タイムス Web News 2012年 1月 7日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉86 田村剛一 ボランティア2

 わが家でもボランティアを頼もうかという話になった。仏間は泥だらけのまま、襖にも泥がべったり。ガラス枠が取れている。押し入れは大きなくぎがむき出し。それに、向かいの事務所跡は、がれきを撤去したままで、ガラスや金属片がむき出し、側溝は泥でつまっている。

  東京海洋大学に勤める息子の知人から「教授が娘を連れてボランティアに行きたいというので面倒をみてくれ」という連絡が入った。

  大学教授は、ブラジル人、日本語は堪能、娘は日本の大学の学生、それにブラジルから教授の助手役の人が来るという。

  さっそく、ボランティアの総まとめをしている社会福祉協議会に出向き、ブラジルの人たちのボランティアを受け入れてくれるよう頼んだ。ところが返ってきた言葉は「個人のボランティアは受け入れていない」とのこと。

  せっかく、外国からわざわざボランティアに来るというのを断るわけにはいかない。

  「私の家で預かって、私の家の後片付けを手伝ってもらうのはどうか」「それは個人の責任でやってください」と言われた。その旨を相手方に伝えた。

  「5月に入ったらすぐに、被災地に向かいますので、よろしくお願いします」というので引き受けることにした。ブラジル人と聞いた時には、一瞬ためらった。言葉はどうか、寝る場所、食事…「テント、食料、水、寝具…全て準備して行く」というので安心した。

  大学教授が何としても被災地に来たかったのは、大学生の娘に大震災の悲惨な状況を見せておきたかったこと、同時に、娘に被災地でのボランティアを経験させたいからだった。

  5月早々テント持参でやって来たが、辺りは、がれきが完全に片付いたわけではないので、テントを張る場所がない。それで、わが家の一室に、寝袋で泊まってもらうことにした。

  大学教授でもあることから、着くとすぐに役場に案内。役場の屋上から、被災した町の光景を見て言葉が出なかった。

  その晩は、支援物資でもらったカップめんと缶詰で夕食を共にした。その時、教授の話したこと「こんな大震災で、秩序ある行動が取れるとは、さすが、日本人」。

  本音は分からない。私たちと話をする時には日本語で話してくれたが、助手役のブラジル人と話す時にはブラジル語(ポルトガル語)で話したので、何を話しているのか分からなかったからだ。ただ、印象で感じたことは、この大震災に心を痛めているのは確かだということであった。

(山田町)


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