盛岡タイムス Web News 2012年 1月 8日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉87 田村剛一 ボランティア3

 前日役場に行った時「ボランティアセンターに行って登録した方がいいですよ」とアドバイスを受けた。どうやら、個人的ボランティアも受け入れているようだ。

  それで、朝食が済むと、すぐに、ボランティアセンターに向かった。家族旅行村の中にある海洋センター体育館は、ボランティアの人たちでごった返していた。ここで、ボランティアの人たちに、一日のスケジュール表が手渡される。役場職員やNPOの人たちが、仕事の配分を決め、ボランティアの人たちに説明していた。

  まず、教授の一団には、名簿に登録してもらい、きょうの一日は、私の家の後片付けを手伝うことに。明日からは、ボランティアセンターの指示で動くことにした。寝場所も、旅行村のキャンプ場にして、テント生活を送ることにした。

  登録が終わって帰ろうとすると「先生も、ボランティア登録したらいかがですか」。顔見知りの役場職員に声をかけられた。せっかく、声をかけてくれたので、何かの役に立つかもしれないと思い、私の名前を登録。それと引き換えに、ボランティアのワッペンをくれた。それに自分の名前を書き胸に張った。これで名前だけは、私もボランティアの一員になった。

  それからすぐにわが家に引き返した。そして、家の中の掃除にかかった。最初に教授の目についたのは、襖のガラスが抜けていること。ガラス枠を襖にはめ込もうと、私も何度か努力したが、それができなかった。

  「これには、こつがあるんですよ」そういうと、ガラス枠を手にして、上下を眺めていたが、それをはめだした。それが一分もしないうちに、きれいにはまった。日本人の私ができなかった襖の修理。それをいとも簡単に、ブラジル人が行った。

  「父は大工仕事が好きな人です」と娘。襖の修理の次に行ったのが、仏間の床板洗い。この頃には、水道も通っていたので、何度も水を流しては泥をふき取る。それを父親だけでなく娘まで、何のためらいもなくする。ブラジル人の助手だけは、泥水にさわるのを少々ためらっていた。

  娘はお茶水女子大の学生。この父娘の泥まみれになっての仕事ぶりを見ていると、日本人にない何かを感じずにはおれなかった。この人たちのおかげで、仏間も素足で歩けるようになった。押し入れのむき出しになっていたくぎも引き抜いてくれた。

  翌日、娘は、保健センターで支援物資配り、男性2人は、家の後片付け手伝いのため、大沢地区のボランティアに向かうことになった。
(山田町)

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