盛岡タイムス Web News 2012年 1月 12日 (木)

       

■ 〈春又春の日記〉47 古水一雄 通巻第三十八号 網張ヲ天下ニ紹介スルハ余ガ任ダト思フ

「無題(通巻第38冊)」
     
  「無題(通巻第三十八冊)」  
 
「無題(通巻第三十八冊)」
 

 通巻三十八冊には題名がなく、最初のページには「明治四十一年七月八月」と筆書きされているが、本文は鉛筆で書かれている。
 
  店の天井を張る大工職人の出入りのことや叔母・伊志(お豊の母)の葬儀のことなどが書き連ねられた後に、すぐ下の弟やその同級生2名を引き連れて網張の帝釈(たいしゃく)温泉に出かけていったことが書かれている。
 
   (七月三十一日)
   午前六時馬車立、途中雨晴雨晴、一時
   過着、帝釈温泉ノ雄壮ナルニ驚ク、窮
   (竊・ひそ)カニ思フ日本第一ト、
 
  網張温泉は、今から1300年ほど前からあったと伝えられる温泉で、岩だらけの険しい道を踏み分けてやっとたどり着く場所にあったため、極めて限られた人しか利用できなかったという。

  澤村亀之助(さわむらかめのすけ)の自伝によると、明治になって麓に住んでいた亀之助が私財を投じて現在の地に温泉を引き、道路を整備して一般の人にも利用ができるようにしたとのこと。ちなみにその地名が“帝釈”と呼ばれていたことから帝釈温泉と呼ばれるようになったそうである。

  なお、“網張”の名称については諸説あるようであるが、岩手山に住む鬼が温泉に入れないように周りに網を張ったから(鬼は網を嫌うという言い伝えによる)とか、江戸時代の山岳信仰により一般人が入れないように網を巡らしたことによるとか言われている。

  雨上がりの夕方、散歩にでかけ盛岡あたりの夕陽に照らされた景観を見ては、またも深い感慨に浸るのであった。
 
   初メ馬車ニテ来ル時ハサマデト思ハナ
   カツタ、嘗テノ夢宿雪山荘ヲ思フ出ス、
   コゝダコゝ独リウレシクテナラヌ、コ
   ゝニ漫々ノ雪ガアルト夢中ノ仙境ハマ
   サシクコノ境デアル思フト油然トシテ
   興ガワク、網張ヲ天下ニ紹介スルハ余
   ガ任ダト思フ、網張ヲ紹介スルハ我趣
   味ヲ紹介スルト同ジデアル、
 
  4泊5日のなかで、春又春は人生初の仕事も手掛けた。この日は春又春を一人宿に残して、外の者はみな葛根田の大岩屋や玄武洞の見物に出かけて行った。夕飯の支度は春又春の番である。
 
   (八月五日)
   午後、夕飯炊カニヤナラヌトイフ腹ガ
   アルノデ時計ガ時計ガ氣ニ成ル、四時
   飯焚く、思ヒノ外ヨク焚ケタリ、之ヲ
   以テ春又春ノ飯焚初トス、次ギテ汁、
   サゝギニ豆腐、味噌少〃甘シ、味噌ヲ
   ツギ足ス、汁モ煮タリ、次ギニ皿、牛
   肉ノ缶詰ヲアケテソレニ玉子ヲ落シク
   チャクチャニ煮ル、
 
  帰宅した春又春は、よほど網張の景観が気に入ったのか久しく消息を絶っていた伊藤左千夫に宛てて早速書簡を認めている。
 
   (前略)
   先生此頃ハ御旅行ナサレジ候ヤ昨年ハ
   御留守ヲ御訪ネ申シ甚ダ残念に存ジ

  候、此暑サニハ御家居モ成リ間敷東北
   見物如何ヤ、
        小岩井農場
        あみはり温泉
        十和田湖
   右ノ内何レカ御来遊如何ヤ、あみ張温
   泉ハ海抜二千五百尺岩手山腹ニ在リ眺
   望ノ雄大ナル避暑ノ好適地ニ御座候、
   十和田湖ノ勝ハ今更申迄モ無之若シ御
   来遊ニ候ゞ御案内可申
   御都合次第イツニテモヨロシク御座候
   只コノ暑サニテハ十和田湖行ハ却ツテ
   苦シカルベク秋ノ初メ頃ナカナカヨロ
   シカラント存ジ候別包えはがき送上御
   覧被下度是非々々御来遊待上候、あみ
   はり温泉ハ目下単衣一枚ニテハ凌ギ得
   ヌ程ノ涼シサニ御座候、若シ御来遊ニ
   候ハゞ自炊ノ支度ナ可致候盛岡ヨリ八
   里馬車ノ便アリ温泉場ヨリ岩手山頂上
   迄三里、東北ノ高山是非一度ハ御登山
   可然(しかるべし)ト存ジ候、先ハ暑
   中御見舞旁々右御案内申上候乱筆御免
   シ被下度候、
                 不一
 
  左千夫宛ての書簡の下書きとおぼしき文章である(春又春の日記には出した手紙の文章、もらった手紙の文章が書かれている)が、網張への来遊を強く促す内容からもいかに春又春が惚(ほ)れ込んだかが分かるというものだ。



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします