盛岡タイムス Web News 2012年 1月 13日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉58 八重嶋勲 予暗涙にむせびつつあり

 ■猪川浩(続き)

今予は暗涙に咽ひつヽあるなり、君の手紙ハ第一高橋云々の事と報シ来れり、この時一種の感に叩たれて慄然たるものあり、乞ふ予の為めに思て往事を回想せよ、予ハ去んぬる年十二月二十日彼を見き、時に予ハ婦人は愛を男性に送りて霑すなると悉知しき、彼等の愛ハ袋中の光玉の如し、今その袋を撤回し去らば光燦爛として四壁に煌くを見ん、一端誤りて袋を破るあらば玉為め陥落して碎粉となるの懼れあり、されバ袋を開かんとするの方法あり、手続きありと信しき、されば男女交際家庭の改良、社會改良を唱導せり、婦人の地位品格を保てと薦めたり、而して予が手初め彼れに漸々実行しき、されど彼れにハ一種の魔力なるものありて予が折角の工風も思案も滅茶却って予も共におしやれをやる事往々にしてあり、今より思ひ廻らせバ狐憑きなりき、煩悩の子なり愚夫なり、正明なる佛陀及び賢明なる兄等に對して何等の面目かあらん、されと幸也き予ト多少理屈を以って脳髄を堅めたりき、されば轉々それが為めに苦脳(悩)する彼の行為や逃れたり、而して退いてハ考へ思ひ込み意を決して遠けれとせりき、その間絶へす淑徳ハ婦女の本能なれバこれを失ふときハ人間にあらざるを以てせりき、未だ彼の脳髄に滲透せしや否やハ知らざる處なりしと雖も否彼れは全く無神経也、無能也、婦女に非らざる也、予が再度再度の手筒ハ他の恋文、懸想文同然に屑屋の包みの中に投ぜられし成るべし、この時吁々婦女と小人は度し難しと嘆聲を漏せる事幾度なりしか知り玉ハずや、予ハいたき思ひをしひて足を遠さけたりき、此に於て婦人に慰藉を求めんとするの念ハ緒絶せるものなりき、これより予ハ如何に変化したるか、婦人は排せずと雖もしひて遠け恋を求めんとせざるなり、即ち眞の慰藉たるべき信念を得んとするに汲々たる今ん年正月以降にあり、乞ふその径跡を尋ね玉へ心細きキ(箕)人生一ヶの心情を□せバ実にかくの如きものなき、可憐とも愍然とも豈に暗涙に咽はざらんや、此に於て信仰なりと絶叫させるを得ざる也、急進的に、噴火山的に、或ハ常規を脱する懼れあるも予が心理上追及せさるべからざる慰藉即ちやヽ大なる快楽を否絶對の快楽を得んとするに忍辱の鎧を着て世と戦はんとも決せしなり、狂なりと笑なりと笑ふ勿れ、かくの如き決心あり、豈に保(呆)然也となすべき底のものならんや、
故に高橋の名を聞いて恐?(驚愕)せり、殊に逃け出せる事炎天をたよりに浪々とやって来たる事なり、而して怪訝に堪へぬハ炎天が止めもせず二人とも引きつれてやって来たる事なり、炎天が訪問したのか訪問されたのか、予ハ今彼等の大胆に恐れを抱くものなり、咄し下るべくもあらず、乞ふ再び言ふ勿れ、いたつらに青春の生氣を沮喪せしむる事あり、予ハ常に多情なり、毒言すれハスケベイなるやも知れず、婦人に無精と同情とを寄せる奴なり、この點について愚なり、陋也、唯最後に一言せん、今より根本改善するにあらずんハ故郷に帰りてヘクタレ金に喰い付きて高利貸しでもせよ、到底汝が如き腐敗漢にハ耶蘇でも佛教でも信する勇はあるまい、数千□々侭して言ふ事を水の沫として大胆にも父母の許容を得ずして上京するに到りてハ腐敗も到れり尽せり、女子の本能ハ淑徳にあり、節操にあり、英利銀杏と化けるなくんバ幸也といふて玉へ、此に於手一ツ筆を清めん、今宵神聖なる宗祖日蓮遺文録研究に行く、予がかゝる事に座(挫)折したて腹らする予に非ず?

午後四時擱筆亦更らに今宵帰りなハ起草すべし、

宵にハあらで深更なり、遠蛙耳を聾する許り洒々として鼓動し来る、街頭既に人語なし、啻聞く脈々たる予が心臓の鼓動の音のみ、此に於て言ハん、君が予に向って信念を得んと勉め好結果なきに挫折あらんと勤告し玉へり、予ハ惟ふ、信念ハ一種の非科学的、不可思議的、心的作用なり、信仰を得んと翼ふの精神ハ既に信仰の近きある点迄で来れるものなり、彼の徒らなる智識慾にかられて哲学本を読み中途挫折する彼の薄弱にあらず、所謂一種の信念なり、これを得んと欲する信仰的意思の左右する所にして敢て不薄なる不生産なる慾望の奴に非らざるなり、信仰を得ざれバ得るまで進み進むの念ハ即チ信念なり、予に取りてハ所謂宗教的信仰以外の信仰ハ出来能ハず、何となれバ予ハ人類中最もかよわき浮薄なる軽躁なる可憐なる動物に類せりされバぞ、不可思議玄妙なる彼の信仰にあらずんバ予が凡ての行為行動ハ完全に維持し能ハざる也、抱琴子ハ信仰以外に信仰を得て安心を得つヽありと、されど予ハ思ふそハ永久不変のものに非ざるを信ず、何時もいふ如く眞生命なり信仰の力によりて成れるピラミッドの如き、ミカエルアンセロのモーゼの如き、眞に然し予ハ只永久不変といふ意味に於て信仰を得んとするなり、完全なる個人完全な品性これ正に信仰の一階級たるべきなり、必ずしも僧主くさく成るを信仰と言はず、世に佛陀なるものありと泣いて予にうったへたる赤澤號主人あり、彼れは他カ信仰の為めに支配されたる人なり、如此は可憐なるものとして笑ふものあれど、矢張り彼れハ土味噌にならずと雖も糠味噌位ひ迄ハ成れり、然れども予の信仰ハ眞理と同化せんとし、彼れハやヽ完全なる人格と同化せんとするまで矢張り彼れが完全なる常識を具備し能ハざ(り)しに依りてあやりて眞理とやヽ完全なる人格とを認識したるなり、それ人間の究竟目的ハ人格と同化するにあるべきか、否、同化し得べきか、斯る薄弱なる信仰の建設ハ頗る危難なりと信ずるものなり、寧ろ神に同化せんと力むる耶教のやヽ完全適当なるを認知せり、乞ふ、この受持文が予に取りての唯一の宝典なり、曰く

  自今身至佛身奉能持法華経本門壽量品之三大秘法事。一念三千是好良薬之南無妙法蓮 華経南無法蓮華経南無法蓮華経

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